小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

679 ある結婚式 夏の日の花嫁・俯瞰

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暑い日が続いた東京。ようやく「干天の慈雨」があり、少し涼しくなった。そんなきょう、四谷のイグナチオ教会で、若い友人の結婚式があった。

教会に入る2人は輝いて見えた。私にもこんな時代があったのだろうか。配られた式次第の中にあった「あなたの体のともし火は目である」(ルカによる福音書11章34-35節)が心にしみた。

新婦とは一時期、仕事を一緒にした。ホスピス関係のけっこう重くて、つらい仕事を担当していた。だが、そうした日常を送りながら、いつも前を向いて歩く姿勢を維持していた。何よりもきれいな目をもっていた。

その目について、共通の友人が初めて会った印象を「目がきれいな人」と話したのだ。いつも客観的な見方をする友人が言うのだから間違いない。そう思いながら、結婚式の教会に入ってくる新婦の目を見た。

やはり、輝いていたのだ。それは、式次第に書かれた聖書の通りのように思えた。冒頭の言葉を繰り返す。

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あなたの体のともし火は目である。 目が澄んでいれば あなたの全身が明るい 濁っていれば 体も暗い だから あなたの中にある光が消えていないか調べなさい(聖書・世の光から)

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キリスト教のことは私には分からない。でも、この言葉は何となく理解できる。心が澄んでいれば、美しい目を持つことができるのだ。ともすれば、人間は年を経るにつれ、世の中の邪悪にまみれてしまい、それが顔つきや目の濁りに現れる。もう、遅いかもしれないが、自分の中に光が残っているかどうか、検証してみたいと思う。

イグナチオ教会には、2人とゆかりの深い人たちが大勢集まった。神父による「司式」で、40分で式は終わった。写真を撮りながら、いつもの癖で客観的に見ていると、こういう席では女性の方が落ち着いて見える。新郎の方は緊張し、汗を流している。

いま、2人はある私立学校の英語教師をしている。面白いなあと思う。特に、新婦のような、明るい先生だったら、教え子は英語を好きになるに違いない。

暑い夏の日の結婚式。教会の芝生の庭で新郎新婦とともに全体写真を撮影する。カメラマンは2階から下にいる私たちに向けてカメラを構えていた。いわゆる「俯瞰」である。上を向いてくださいといわれて、空を見上げると、薄い雲が広がり強い日差しを遮っている。

日本の隅々まで歩いた民俗学者宮本常一は、故郷の四国の島、周防大島を旅立つ際、父親から生きる上での10カ条の指針・教訓を聞いた。その中の2つ目を新郎、新婦に贈ろうと思う。

〈村でも町でも新しく訪ねていったところは必ず高いところに上って見よ。そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ。そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必ず行ってみることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようことはほとんどない。〉

広い視野で物事を見、全体状況を把握していればどんな厳しい局面に立っても、自分の道を歩いて行くことができると解釈していい。それが俯瞰なのである。