小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

643 言葉と向き合う達人たち 詩誌「・薇2」を読む

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 友人の飯島正治さんが主宰する詩誌「薇(び)2」が届いた。飯島さんら10人の詩人の詩と、「小景」という短文が載っている。

  言葉の達人たちの詩と文章を読み返しながら、この人たちはどんな思いで「言葉」と向き合っているのだろうかと考えた。私は酒を飲んだ後に、痺れた頭でこうしたブログを書いている。そうした姿勢の私には、薇の詩人たちはまぶしく輝いて見えるのだ。

  杜みち子さんの「繋留(けいりゅう)点」という詩。冒頭に「この冬一番の冷え込みと報じられた日 朝から一行の詩も書けない」とある。そして、杜さんの日常描写が続き、末尾で「その冬いちばん寒い日 一行の詩も書かなかった」と結んでいる。アルコールに酔って駄文を書いている私には、杜さんという女性のひた向きさがうらやましくさえ感じた。

  飯島さんの「更地」という詩には、内心驚いた。飯島さんが勤めていた新聞社が郊外に移転し、その跡地は更地になっていて、ブルドーザーのキャタピラの痕が付いている。更地を見ながら、飯島さんはその新聞社時代を振り返る。

 「電話が鳴る 通信社のスピーカーが叫ぶ 記事モニターが途切れなく続く おびただしい事件や事故が流れていく」

  飯島さんが勤務した新聞社が移転したことは聞いていたが、かつての本社が更地になったことを飯島さんの詩で初めて知った。

 植村秋江さんの「歩く」という詩も気に入った。「草の匂いが わたしを誘う 無性に歩きたい日がある」という書き出しで植村さんは、歩くことへのこだわりを書いている。小景でも、彼女の「星空に」という故郷、高知への帰郷を書いた文章が心に残った。世の中に達意の文章の書き手がたくさんいることを知った。

 以下は飯島さんの詩全文。

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 新しいマンションの隣の低地に ブルドーザーのキャタピラの痕が付いている 勤めていた新聞社が郊外へ移転した跡だ 破れた新聞紙が更地を這っている 向かいの製餡所の無用の煙突は変わらず 空間に置き去りにされたままだ

  電話が鳴る 通信社のスピーカーが叫ぶ 記事モニターが途切れなく続く おびただしい事件や事故が流れていく

  銃声の下の子供たちの見開かれた瞳 墜落する旅客機の乗客の震え 大地震に閉じ込められ闇に迫る炎 毒ガスで硬直していく体

  多くの人たちのうめき声を 聞こえないふりをして私たちは ワープロを打ち続け見出しを入力して 長方形の枠の中に流し込んだ 暴力や天災は記事であり活字であり 目を引く出来事に仕立てられていった

  更地で風が行き場を失っている 破れた新聞紙が風に巻き上げられ 高い煙突の天辺へ運ばれていく

  行き場をなくしていたうめき声が 虚空に吹き上げられ凍り始める