小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

637 ふしぎな波瀾重畳の生涯 ジョゼフ・フーシェの評伝「ある政治的人間の肖像」

画像マキャベリズム」という言葉は、悪く言えば「目的のためには手段を選ばない」に解されるが、「国家が危機に陥った場合は、政治家は国家存続のために、手段を選ぶべきではない」と解釈する意見もあるという。ここでは前者の方を使うことにする。

 権謀術数にたけ、謀略を平然と行い、同志も簡単に裏切る。カメレオンとも評されたフランスのかつての政治家、ジョゼフ・フーシェは「マキャベリズム」を実践した「マキャベリスト」の典型だろう。

 オーストリアの伝記作家、シュテファン・ツワイクの評伝「ジョゼフ・フーシェ」岩波文庫)を読んだ。その61年の生涯の物語は、最近読んだ本の中では出色だった。 フーシェは、1759年に生まれ、1820年に亡くなった。当時のフランスは激動の時代だった。

 ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの処刑に至るフランス革命・人権宣言、戦争の天才・ナポレオンの台頭と没落、ルイ18世による王制復古…。この時代を描いた本は少なくない。佐藤賢一は、フランス革命をテーマに10回のシリーズ(途中だが)を書いている。

 意外とフーシェは知られていない。政治の表舞台よりも、裏側に目を光らせる警視総監や警務大臣、警察大臣という地味な立場が長かった。しかし、一介の教師から政治の世界に身を投じ、平然と仲間を裏切り頭角を現していく。日の出の勢いのナポレオンでさえ、警戒しながらもそばに置かざるを得ないほど不気味な力を持つ。こんな政治家は幸か不幸か現代日本には見当たらない。

 フーシェに比べたら、鳩山さんは子どもみたいなものだと思う。(小沢一郎氏のタイプともやや違う) フーシェの保身術は並大抵のものではない。ナポレオンに面罵されても、顔色一つ変えない冷酷・冷静な変節漢は、多くの危機を乗り切り、しぶとく生き抜く。スパイ網を張り巡らせ、情報を巧みに操作したというから、政治の世界に諜報を取り入れた先駆者みたいなものだ。

 冷酷無情のフーシェだが、家族だけは愛したという。妻や家族を大切にしたエピソード、妻を亡くした彼の落胆ぶりに関してもツワイクは触れている。 フーシェは、ナポレオン帝政崩壊後、臨時政府の首班となり、タレーランとともにルイ18世を迎え入れる。そこでフーシェは警務大臣に任命されながら、2カ月で失脚する。タレーランに裏切られ、ルイ18世に見捨てられるのだ。ルイ16世を断頭台に送った過去が消えなかったのである。

 フランスを追放されたフーシェは、オーストリアの宰相メッテルニヒに助けを求めプラハからリンツへと移り住み、トリエストという港町で亡くなる。この部分の翻訳が心に残る。ツワイクの原文が優れているのだろう。 ―1820年12月26日、北海のある港町に呱々の声をあげたこの生命は、ふしぎな波瀾重畳の生涯を、南海の町トリエストで終えた。

 越えて12月28日、せかせかと駆けめぐった末に追放せられた男の死骸が、永遠のいこいの床に横たえられた。有名なオトラント公爵が亡くなったという便りが伝わっても、べつだん世間の人たちは大して問題にもしなかった。ただ、追憶の淡い蒼い煙が一条、彼の消え失せた名からしばしば立ち上げって、時代の静かな空の中へほとんど跡かたもなく消え失せてしまったのである。

 ツワイクは、1881年にオーストリア・ウィーンで生まれたユダヤ系の作家である。ヒトラーナチスが台頭すると、オーストリアから英国に亡命、さらに米国、ブラジルを転々とし、1942年、再婚した妻とともに薬物を使って自殺した。ヨーロッパの未来に絶望したのが動機だったという。彼もまた、政治に翻弄された生涯を送ったのだ。