小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

603 大人の社会を反映 荒れる学習院初等科

 昨日(3月4日)、日本の小学校からプレゼントされたラオスの小学校の校歌のことを書いた。昨年9月にラオスに行き、いくつかの小学校を訪問した。子どもたちの目は輝き、一緒に行った先生たちとどうしてこんなにきれいな目をしているのだろうと話したものだ。そこには、もちろんいじめなどない。子どもたちは学校に行くこと自体がうれしいことなのだ。

  夕刊に皇太子夫妻の長女、愛子さま学習院初等科を休んでいるというニュースが出ていた。乱暴な子がいて、学校に行けなくなったというのだ。さらに、学習院の記者会見で「男の子がかばんを投げる」「廊下をすごい勢いで走り回る」「大声を出す」「授業中に縄跳びの縄を振り回す」といった行動をする子どもの存在が明らかになった。

  子どもが元気なことはいい。しかし、学習院初等科の実情は、元気を通り越しているように思われる。皇室や日本の恵まれた家庭の子どもたちが通う、この学校で何が起きているのだろうかと思う。大げさにいえば、日本社会のタガが緩んでしまっているしか思えない。そうした子どもたちとの接し方が分からない親と教師が増えているのだろうか。(子どもの状態は注意欠陥・多動性障害ではないかという説もあるが、よく分からない)

  日本はバブル経済の崩壊とともに長い失意の時代を送った。いまも長いトンネルから抜け出していない。そんな中でもゆとりある生活を送っている家庭の子どもがおかしくなっているとしたら、事は深刻だ。

  いまのラオスは、日本に比べると何もが足りない。しかし「貧しい」という表現が決して正しいとは思わない。確かに物質的には貧しいが、輝く瞳を持ったラオスの子どもたちは日本の子どもたちよりも幸せなのかもしれない。あの子たちは、かばんを投げたり、大声を出したり、すごい勢いで廊下を走ったり、授業中に縄跳びの縄を振り回すことはしないと確信する。

  子どもは正直だ。大人の世界をよく見ていて、大人のずるさや不正直さの真似をする。荒れる学校は、実は大人の世界を反映したものなのだ。それが愛子さまの通う学習院初等科にも形として出現したにすぎない。