小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

602 遥かなりラオス 5ヵ月後の心暖まる話題

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最近、DVDに記録された映像とともにうれしい知らせが届いた。それは歌の力を思わせるものだった。 昨年9月、私はラオスにいた。その総集編(11月)に書いたように、ラオスのいなかの小学校に、日本の小学校の校歌をプレゼントする授業に立ち会った。あれから5カ月して、ラオスの小学校の子どもたちは、その歌を自分たちの歌にしていたのだ。 ラオスベトナムやタイ、中国の少数山岳民族が住む地域で日本のアジア教育友好協会(AEFA)は、教育を受ける機会が少ない子どもたちのために学校を建設する事業を進めている。同時に、建設した学校と日本の学校の交流の橋渡しもしている。ラオスの南部にあるサラワン県、ナトゥール小学校はAEFAが2008年に建設した小さな小学校だ。 この小学校と交流しているのが、もったいない図書館で知られる福島県矢祭町の東舘小学校だ。交流の仲介をした私は、昨年9月、AEFAの谷川理事長や金子さん、東舘小の宍戸校長らとともに、ナトゥール小を訪問した。 教育にかける強い思いで意気投合した谷川さんと宍戸校長は、東舘小の校歌をナトゥール小に贈ることを思いつき、実行に移したのだ。日本の学校には、校歌は当然のようにあり、入学式や卒業式など、ことあるごとに歌われる。しかし、ラオスに詳しい谷川さんによると、この国の学校にはそうした伝統はないのだという。そこで、じゃあ日本の歌はどうだろうと考えたのだ。 早速、宍戸さんは知り合いに頼んで日本語の詩をラオス語に翻訳してもらった。さらに現地のNGOの関係者に見せて、完璧なラオスの詩に置き換えた。教室に入った宍戸さんは、自分でギターをひいて、ラオス語でナトゥール小の子どもたちの前で歌った。不思議な感覚だった。このメロディがラオスの子どもたちに受け入れられるかと思った。 谷川さんと金子さんらは、ことし2月下旬、日本の学校関係者とともにラオスに行き、ナトゥール小も再訪問した。すると、子どもたちがラオス語になった東舘小の校歌を歌い出したのだという。その光景は金子さんによって撮影され、それを収めたDVDが私にも届けられたのだ。 子どもたちは、楽しそうに歌っている。その歌は完全にナトゥール小の校歌に聞こえた。不覚にもその映像を見ながら、涙がにじんできた。私以上に、現場に立ち会った谷川さんと金子さんは感激したようだ。宍戸さんの喜びも想像できる。 東舘小では、楽器がないナトゥール小の子どもたちに町内から楽器を集めラオスに贈る運動を始めたと宍戸さんからメールをもらった。歌で結ばれた2つの小学校の子どもたちが大人になるころ、日本とラオスはどのような国に変化しているのだろう。私の想像は大きく広がっていく。