小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

612 燃え尽きない選手たち 世界フィギュアの浅田・高橋

  スポーツ選手は「モチベーション」という言葉を好んで使う。辞書によれば「動機づけ」「やる気」という意味だという。人間は物事に取り組むに当たって、この言葉のような目的意識を持つものだ。

  一つの目標に向かって突き進み、事が終わった後は「抜け殻」あるいは「燃え尽き症候群」の状態になってしまうのも、平均的な人間の姿なのだ。

  トリノで開催されている世界フィギュア選手権の選手たちの姿をテレビで見て、そんなことを思った。五輪に出ていない選手ももちろん出場している。しかし、上位を狙うのは、やはり五輪出場組だろう。

  男子は、日本の高橋大輔が優勝した。しかし、バンクーバー五輪の金、銀のメダリストは欠場し、出場した多くの選手は不調だった。日本の織田は満足にジャンプができず予選落ちし、小塚の演技もさえなかった。そんな中で高橋には「金を取る」というモチベーションがあったのだろうか。

  男子に続いて、女子のショートがあり、浅田真央は2位という無難な位置に付けた。しかし、冬季五輪の金メダリストのキム・ヨナをはじめ、日本の安藤も、鈴木も調子は悪かった。銅メダルのカナダのロシェットは欠場した(五輪直前に母親が急死した悲劇の選手だ)が、彼女は別にして欠場した男子の金、銀の2人のメダリストと比較しキム・ヨナの方に人間としての評価を与えたいくらいだ。

  満足に練習する時間もなかったに違いない。五輪では優勝するという「動機付け」があって、厳しい練習に耐えて目標を達成したのだから、後は何をしたらいいのかという思いになっておかしくない。それは、かつて経済の行動成長時代を担ったビジネスマンを襲った「燃え尽き症候群」と似ている。それでもキム・ヨナは出場した。それがショートの演技だった。

  冬季五輪が閉幕したのは、日本時間今月の1日だ。それからあまり時間を経ずして、このような大会を開くこと自体、おかしい。選手は五輪に向け肉体的にも精神的にもピークを合わせたはずだ。そのために五輪後は「抜け殻」状態に陥った選手が多いのではないか。

  キム・ヨナはその一人だし、安藤も、鈴木も、織田もそうだったかもしれない。高橋や浅田は、冬季五輪で「金」を取れなかったという悔しさがあり、それが五輪直後の大会でも「頂点を目指す」という精神力が持続したのだと想像する。

  ラジオカナダのインターネットの生中継映像(日本のテレビ局は、こんな時代にまる一日遅れで放映するというのだから、愚かなものだ)で、高橋に続いて浅田が優勝したのを見た。見事であり、その強い精神力には脱帽だ。それにしても、フリーの後半でジャンプに失敗しミスが多かったキム・ヨナの方が浅田より得点が上という結果には驚いた。フィギュアのルールは、素人にはよく分からない。

  どんな状況下にあっても実力を発揮できる人は、そう多くはない。いまの日本に必要なのは、そんな高橋や浅田のような「冷静な人」なのである。