小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

599 3代にわたる職業 佐々木譲の警官の血

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 祖父の代から3代、教師を職業としている知人がいる。伝統芸能の世界ではその仕事がさらに長く受け継がれることも少ない。しかし、警察官という厳しい職業では、3代続くことはあまりないのではないかと思う。

  佐々木譲の「警官の血」は、そんな稀有の人たちを題材にした大河小説だ。それは、戦後から現代までの日本の社会を投影していて、自分が生きてきた時代を振り返るような気がした。

  佐々木譲は「廃墟に乞う」で直木賞を受賞した。この受賞をめぐって、選考委員の五木寛之が辞任するというニュースが流れた。五木は、この作品に関する論評で「破顔した」という表現について触れた。しかし、この表現は作品のどこにもなかったにもかかわらず、そのままオール読物に発表されてしまったのだ。

  勘違いなのか、作品をきちんと読んでいなかったのか、ぼけてしまったのかは分からないが、大家としての五木の面目は大きく失墜してしまったようだ。

 「警官の血」は、読み応えがある作品だ。初代(祖父)、2代(父)とも、不慮の死を遂げながら、3代目も警察官になる。変遷はあるものの、いずれもが警視庁の下町にある駐在さんだ。

  初代の不慮の死をめぐって、2代目、3代目が死因をたどっていき、ついには近い存在の男に殺されたことを突き止める。3代の警察官はいずれもが無器用だ。2代、3代とも警察組織、特に公安警察に振り回されるが、それを乗り越えて駐在所勤務の希望がかなう。街の人たちとの触れ合いこそが警察官の真骨頂なのだ。

  無器用を絵に描いたような警察官の知り合いがいる。彼も、駐在所勤務を経験した。親切で思いやりがある駐在さんとして住民の信頼を集めていたと聞く。

  ほとんどの警察官がこういう姿を目指しているのだろう。だが、中には道から外れるケースも少なくないようだ。きょうの夕方も、北海道の定年退職を1カ月後に控えた60歳の警視が女性のスカートを盗撮して現行犯逮捕されたというニュースが流れていた。警官の血とは何かを考えさせられた。