小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1130 ベトナム・カンボジアの旅(4) 東洋のモナリザの魅力に負けたマルロー

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 紅色砂岩を基調として造られたバンテアイ・スレイは心に残った遺跡の一つだ。アンコールワットと比べ、規模は小さいが、「東洋のモナリザ」(元上智大学長で、長い間アンコール遺跡の調査に当たった歴史学者石澤良昭氏が命名)ともいわれる優美なデバター(女神)像があり、観光客の姿も多かった。

 この遺跡で「不思議な光景」を見た。日本では考えられないことなのだが、警備を担当している制服警察官が観光客に物を売りつけるアルバイトをしていたのだ。 同行の一人は元警察官で、その雰囲気を感じ取ったのか、中年のカンボジア人警察官がこの人に身振り手振りで「物を買え」と持ちかける。

 その物とは、警察官用の帽子、ベルト、バッジだった。バンテアイ・スレイに入る道で勧誘に負け帽子とベルトを買った元警察官に対し、帰り際もさらにもう一つ買えとまとわりつき、バッジを買わせてしまった。しめて15ドルというから、なかなかいいアルバイトなのだろう。 私はこのようなグッズに興味がないが、日本の元警官なら記念にしてもおかしくはない。

 同業のにおいをかぎ取ったとしたら、アルバイト警官はなかなかやるものだと感心した。ガイドの話では、カンボジアでは警察官の給与は高くないため、アルバイトも見逃がされるのだという。 家計を助けるため子どもたちが仕事をしている姿も珍しくはない。バンテアイ・スレイではかわいい女の子が一緒に写真に写るアルバイトをしていた。

 別の遺跡では、遺跡の陰で勉強をしていた子どもが母親の言いつけで、慌てて土産物を買ってもらおうと、観光客の方に駆けつける姿もあった。遺跡に入場する際、素早く私たちの写真を撮影し、帰り際にプリントした写真を売りつける少年もいた。 バンテアイ・スレイでは、フランスの政治家であり「人間の条件」を書いた作家のアンドレ・マルロー(1901―1976)のことを思い出した。彼は若き日、密林の中にあったバンテアイ・スレイからデバター像を盗んで逮捕されるという不始末を犯しているのだ。1923年のことである。

 妻の財産を株式投資につぎ込んでいたが株価が暴落して株券は紙屑同然となって破産、その穴埋めのために、クメールの石像類を盗み、ヨーロッパで販売しようと考えたらしいのだ。彼の眼にも、デバター像は価値があると思ったのだろう。

 一審では禁錮3年の判決を受けたが、控訴審ではフランス(当時のインドシナはフランスの植民地だった)からの署名嘆願運動もあって執行猶予1年に減刑され、フランスに戻って作家活動を始めた。この事件を基に「王道」という作品も書き、後年、政治家としてドゴール政権で長く文化相を務めているのだから、若き日の過ちを悔い改めたのだろう。

 アンコール遺跡群には、千体ともいわれるデバター像が存在するという。遺跡壁面に掘られたこれらの女性像に惹かれてアンコール遺跡詣でをする人も多いらしい。時間に余裕のある人は、「東洋のモナリザ」だけでなく、自分の好みにあったデバターを探すこともアンコール遺跡観光のいい思い出になるかもしれない。

 

5回目へ

写真 トップはバンテアイ・スレイの外観 2、3、バンテアイ・スレイのデバター像 4、写真のモデルアルバイトの少女 5、アルバイトをする警官 6、日本語も世界遺産の標示 7、一心に勉強をする少女(この後、土産物を売る仕事を始める)

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