小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

530 広島・長崎とオバマ大統領

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 この見出しを見ただけで、ニュースに敏感な人ならば「オリンピックとノーベル平和賞のことだ」と思うだろう。 ある意味では唐突であり、伝統や慣例を大事にする人には承服しがたい話題に違いない。「2つの都市での開催はオリンピック憲章からしてあり得ない」とか「オバマには実績がないではないか」等々、反対の声の方が大きく聞こえる。

 へそ曲がりの私はいつもなら「フン、馬鹿な」という感想で終わりにしてしまうのだが、なぜか「いいじゃないか」と、肯定的に受け止めた。 前者の広島・長崎両市が2020年五輪立候補に向けて共同の検討委員会をつくるというニュースには、様々な反応があった。「東京が落選し、その総括が終わっていないというのに」という声や、五輪評論家と称する人からは「1都市での開催が原則だから、開催は困難だ」という指摘もあった。

 共同通信は、IOCの統括部長に電話取材して「憲章では1都市開催を定めている。共同開催は認めておらず、現時点で答えはノーになる」というニュースを流した。当然予想される答えだが、あまり当てにはならない。近年のIOC自体の動きが商業的だし、政治的だからだ。

 私はこれらの否定的な動きに対し「いいじゃないか。広島、長崎の心意気を示せ」と、珍しく心の中で両市にエールを送った。現実の壁は、途方もなく大きい。東京で1960年に開催して以来、大阪、名古屋、東京が立候補しながら、あえなく落選したオリンピック開催。これらの都市に比べれば、広島・長崎は小さな都市だ。

 しかし、平和を何よりも大切にする心があると思うのだ。反対も多いだろうが、それ以上に応援する声もあるはずだ。 オバマ米大統領の平和賞に関しても、世界中から賛否の声が続出しているようだ。たしかに実績はない。核廃絶をはじめとする世界の平和実現に向けての「将来に対する投資と期待」と言える。かつてフランスの哲学者、サルトルは1964年、ノーベル文学賞に選ばれながら「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」として辞退している。

 一方、サルトル実存主義の影響を受けた日本の作家、大江健三郎は1994年に同じ文学賞を受賞しているのだから、人の考えはよく分からない。オバマ大統領はたぶん辞退しないだろうから、これからの世界平和に向けて渾身の力を振るのだろう。そう思わずにはいられない。オバマ大統領の平和賞受賞に続き広島・長崎の五輪への道が開けるとしたら、時代の変化をだれもが感じ取るだろう。(写真は高台から見た長崎の街)