小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

487 炎暑のつぶやき お疲れなのでしょう

 麻生首相の「高齢者は働くことしか才能がない」という発言がまた物議をかもしている。この発言の報道を見て「はしゃぎ人間」「想像力の欠如」という二つのことを思った。今回の発言は、かつて会頭を務めた青年会議所のメンバーを相手にした講演で出たという。それにしても、麻生さんはお疲れ?と感じてしまう。

「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さん(青年会議所のメンバー)と違って、働くことしか才能がないと思ってください。働くということに絶対の能力がある。80過ぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら青年会議所の間くらいだ。そのころから訓練しておかないと、60過ぎ、80過ぎて手習いなんて遅い」というものだ。

  この後で「発言の一部だけを切り取られた、真意は、元気で活力のある高齢者に社会参加をしてもらって、働ける、そういった機会を与える、そういう場を作る、それが活力ある明るい高齢化社会なんだと言いたかった」と、弁解したことが新聞に報道されている。自分が話したことが波紋を呼ぶと、真意はこうだと弁解する。こうした繰り返しが何度あったことか。

  人間には、理性という他の動物にはない特質がある。しかし、麻生首相の場合、熱くなってくると、この理性がどこかに行ってしまうらしい。青年会議所は彼にとって、いわば身内だから、身内意識でついはしゃいでしまい本音を言ってしまったのだろう。青年会議所のメンバーは若くて経済的に恵まれた人たちだ。支持してもらうために彼らにリップサービスをしたのだろうか。のぼせたり、はしゃいだりする人間は政治家には不向きとしか言いようがない。

  こうした発言が、多くの高齢者の反発を買うことになると、想像できなかったのだろうか。後期高齢者医療制度の導入で高齢者が衝撃を受けたのは、記憶に新しい。現代の老人の姥捨て山と批判されながら、改善されないままうやむやになっており、日本は高齢者を大事にしない国になってしまったのか。

  女房役の河村官房長官は「首相発言は舌足らずだった」とコメントをしている。実はこの言葉は「舌の動きが滑らかでなく、物言いがはっきりしないこと」と「言葉数が足りず、十分に言い尽くせていないこと」の2つの意味がある。「舌足らずの子ども」というが、思考や価値感などが成長しない大人は子どもよりも扱いにくい。

  21日の解散後の記者会見で「私の不用意な発言のために、国民のみなさまに不信を与え、政治に対する信頼を損なわせました。深く反省を致しております」と発言したことを忘れたとしたら、記憶力も弱いのか、あるいは、あの発言はポーズだったのだろうか。

  私の周囲には働くことが好きな人が多い。反面で余暇を楽しむ能力にたけている人も少なくない。こうした友人たちを見ていると、麻生さんの発言は「的外れ」であり、世間を知らない人だと思わずにはいられない。そんな純粋培養の人たちが相次いで首相になっている。次の有力候補の鳩山さんもその範疇に入るとしたら、日本の政治の安定を望むのは高嶺の花なのかもしれない。