小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1935 俯瞰(ふかん)って何ですか 庶民は政治を見ている

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「総合的、俯瞰的観点に立って判断した」。日本学術会議の会員任命をめぐって、同会議から推薦された105人のうち6人が任命から外された問題で、加藤官房長官菅首相は同じ説明を繰り返している。俯瞰は、高いところから見るという物理的意味と、物事を広い視野で見る、すなわち客観的に物事の全体像をとらえること――という2つの意味がある。この場合は後者を使っているのだろうが、どう見ても納得いく説明ではない。

  民俗学者宮本常一が生まれ育った山口県周防大島から大阪へ出る際、父親から生き方や旅について大切なことを教えられた。そのことを宮本は10項目にまとめ、『民俗学の旅』(講談社学術文庫)の中で書いている。俯瞰と合致するのはその2つ目である。

《村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ。そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへはかならずいってみることだ。高いところで見ておいたら道にまようことはほとんどない。》

  この教えは俯瞰の物理的意味を指すのは言うまでもない。だが、それだけではない。広い視点で物を見ることの重要性を示すものだと受け止めてもいいのではないか。では、政府が学術会議候補者について俯瞰的観点で6人を任命から外したとすれば、どんな背景があるのだろう。総合的、客観的に見て学術会議のメンバーにするだけの学問的実績、能力、識見がないということなのだろうか。だが、それを判断するのは推薦した側であり、政府側にそれだけの専門的力量がないのは言うまでもない。何か別の要素があるに違いない。政権に反対の考え方をしている、それは許せない……。それは言いたくとも言えないが、政治記者とのオフレコ懇談では出ているのかもしれない、と思ったりする。どうですか、政治記者さんたち?

  今日の新聞朝刊(朝日)の川柳欄に選ばれた7句のうち3句が菅首相関連だった。庶民は政治をよく見ていることを忘れてはならない。政治に強権的姿勢は禁物なのだ。

 「安倍麻生なんだか可愛く見えてきた」(奈良県伊谷剛さん。評=学術会議、朝日毎日東京は大きく読売日経産経は小さく報道)「天皇も任命拒否ができるかも」(東京都奥津春美さん。評=総理の、ふと)

「思いたい『ペンはパンケーキより強し』(神奈川県石井彰さん。評=菅首相が内閣記者会と懇談会)

  そこで私も一句。

「星がつく店のグルメも継承か」(評・前首相に次いで新首相も一流店で食事三昧)

 

  写真 今年はキンモクセイの花が輝くほど咲いている。

 

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