小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

486 離島への旅 トライアスロンのメッカ愛媛・中島

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 トライアスロンの島に行ってきた。私がこの鉄人レースをやるわけではない。別の用事があって島を訪れ、それを知ったのだ。忽那(くつな)諸島を知っているだろうか。実は地理が好きな私でも知らなかった。その中心の島が中島といい、愛媛県の県庁所在地、松山市に属し、高速船で30分もかからない。

 愛媛県といえば大三島伯方島など、しまなみ海道で結ばれた島々が知られている。それに比べると全国的知名度は低いが、自然の美しさはひけをとらない。中島も瀬戸内海国立公園に属している。面積は21・17平米で、島の大半は緑に覆われた山地である。この島の人口は約6300人だ。

 このところ、九州、中国地方は集中豪雨の被害が続出している。松山空港から乗ったタクシーの運転手さんによると、この日(25日)の朝、松山市内はものすごい雨が1時間にわたって降ったそうだ。「あの雨が続いたら、飛行機も着陸できなかったかもしれませんよ」と運転手さん。その言葉を裏付けるように市内の川はにごっていて、水かさがかなり増していた。

 高速船に乗って、島に向かう。空は薄日が指している。気温は25度以下と涼しい。島には、姫ヶ浜と女性的な名前のついた海水浴場があり、松山市内からやってきた家族連れなどが浜近くでバーベキューをやり、浜辺でのんびりとしている。海に入っている人は数える程度だ。もったいないくらいにぜいたくだと思う。でも、これが本来の姿であり、人でごった返す湘南の海の方が異常なのだ。

 この島は瀬戸内海のほかの島と同じように、みかんの栽培が盛んだ。しかし、そのみかんの丈は短い。土地の人に聞いてみると、1991年の台風19号による塩害で枯れる被害が続出、植え替えたためにまだ丈は大きくなっていないのだそうだ。 この島で毎年8月下旬にトライアスロン大会が開かれ、ことしは8月23日に24回目が開催される。島を全国にアピールしようというのが狙いだそうで、島民はこぞって大会に協力し、参加選手のホームステイも引き受けているという。きれいな海となだらかな道路はトライアスロンに絶好の条件なのだろう。だが、まだ島の知名度は全国的とは言えない。

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 これまでいろいろな島に行った。一番思い出深いのは宮城県気仙沼市の大島だ。ある夏、フェリーで気仙沼港から約1時間の島に渡った。民宿の主人の小船でウニを取りに行き、その場で食べさせてくれた。私は新鮮なウニを食べ、嫌いだったはずのウニが好物になった。

 その主人は、実は短歌をつくる歌人の顔を持っていて、漁業と民宿で生計を立てながら、子どもたちを育てた年月をそれぞれの歌にし、歌集も出していた。この人のような生活が、中島にもあるに違いない。 親たちが島に残り、子どもは仕事を求めて松山市に家を持つ例が多いという話を聞いた。そんな時代なのである。

 夕方、松山市内に戻って、船着場の前にある食堂に入ると、中島に住んでいるという男性客が酒を飲んでいた。子どもの所に遊びに来て、帰る途中のようだった。彼は私が中島に行って来たというと、今度来るときにはぜひ紹介する民宿に泊まってほしいと話しかけてきた。

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 新鮮な魚料理がお勧めですよという。びっくりするくらい安いのにうまいですよと付け加える。話に夢中になっていた彼は、そのうちに島行きの船の最終が行ってしまったことに気が付いた。私とのおしゃべりに、つい船の時間を失念してしまったようだ。 彼がその夜どうしたかは知らない。

 食堂の主人らしい人も隣にいて飲んでいたので、一晩飲み明かしたか、あるいは松山市内に住む子どもの家に泊まったのかもしれない。そんなのんびりぶりが、私にはとても好ましく見えた。(写真は大浦港、姫ヶ浜、民家の軒先で咲いていたハイビスカスの花)