小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

447 旅する巨人 後世への道は

画像

 日本中を歩き尽くした歴史上の人物の中で、特に惹かれるのは伊能忠敬宮本常一の2人である。 松尾芭蕉西行ら、2人以外でも名前を挙げることができる歴史上の人物は少なくない。しかし目的を持って日本を歩き続けたのは、この2人だといって過言ではない。地図を作るためという伊能忠敬に対し、宮本は民俗学の立場から地方の生態を調べつくした。

 民俗学といえば、柳田国男が第一人者として受け止められている。一方、宮本もこの世界では柳田以上に大きな足跡を残した。佐野真一はその宮本の足跡を追い、宮本を支え続けた財界人、渋沢敬三の生涯も同時並行的に記す手法で、2人の「評伝」を書き上げた。

 巻末のおびただしい資料を見れば、この作品にかける佐野の意気込みが理解できる。それだけでなく、佐野は特に宮本が旅した地域(特に辺地)を、宮本の後をなぞるようにして歩いた。それが、大宅ノンフィクション賞につながったのだろう。

 渋沢榮一の孫として、財界人としての生き方をしいられた渋沢敬三と、瀬戸内海の貧しい家で生まれた宮本常一。2人の二人三脚ぶりは、うらやましいくらいに映る。それが宮本民俗学として生かされたのだ。 佐野は宮本への肩の入れ方が強く、この作品の中ではエリートの柳田国男に対し、かなり厳しい見方をしている。

 一方で地べたを這いずるようにして、全国の古老から聞き取りを続けた宮本に対しては温かなまなざしを向け続ける。 この作品のおしまいに、宮本の文章が載っている。

 

 長い道だ。はてしない道だ。ずっと昔から歩き、何代も歩き、今も歩き、これからさきもあるいていく。それが人の生きる道だ。後ずさりのない道だ。前へだけあるいていく道だ。 歩くことに後悔したり、歩くことを拒否したり、仲間からはずれても、時は、人生は待ってくれない。時にしたがい、時にはそれをこえていく。そして、倒れるまであるく。後からきたものがわたしたちのあるいた先を力つよくあるいていけるような道をつくっておこう。 

 

 作品を読んで、現代を生きる私たちは、これからの世代のための道を間違いなくつくっているのだろうかと考えた。