小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

423 日本を去る子どもたち ある日系留学生の報告

  昨年2月、岐阜県美濃加茂市を初めて訪問した。ドイツのライン川に似ているため「日本ライン」と呼ばれる木曽川が流れる自然豊かな街だ。ここは隣接する可児市とともに南米・ブラジル人が多く、美濃加茂市は人口の約1割が外国人だ。ソニーなど大手家電メーカーの工場に出稼ぎとしてやってきたのだ。だが、昨年秋以降の大不況が両市に住む外国人にも襲いかかった。可児市に住み、最近ブラジルに帰った留学生から話を聞いて、その深刻さを認識した。

  この留学生はブラジルの北部の都市、ベレンからやってきた女性のYさんで、母親が日系一世、父親が非日系のブラジル人だ。美濃加茂市のブラジリアン学校で子どもたちに教えながら、名古屋市立大学大学院で学び、ブラジルからの出稼ぎ者とその子どもを対象にした家族関係や日本への適応と進学問題などについての研究で学位(博士号)を得た。

  Yさんは、不況が子どもたちに影響を与えている実例として、ブラジリアン学校の変化を挙げ、顔を曇らせた。この学校は美濃加茂の駅前にあり、不況がやってくる前は250人が学んでいた。ところが、Yさんによると、昨年10月からことし1月にかけて次々に学校をやめ、現在は130人しか残っていないというのだ。

  このうち70%が親とともに帰国した。次に多いのは月謝が払えないため家でぶらぶらしているケースで、ごく一部が公立学校に通っているという。日本にきても家族の生活は余裕がなく、貯金ができるような家庭はほとんどなかった。そのために工場から契約打ち切りを伝えられると、ほとんどが帰国せざるを得なかった。

  Yさんは3年をかけ多くのブラジル人家族、子どもたちに面接(インタビュー)し、日本での生活ぶりを調査しただけに、その人たちの多くが日本から姿を消したことはつらかったようで、言葉に力はない。

  日系外国人は、静岡県浜松市や栃木県大田原市にも多く住んでいる。大田原市や真岡市のブラジリアン学校でも親が授業料を払えないためやめる子どもが続出し、学校経営が危機に瀕しているという。昨年、私も美濃加茂市のブラジリアン学校を訪問した。当時は現在のような経済情勢の変化は予測されていなかった。子どもたちは闊達で、Yさんをはじめとする留学生らの「職業選択の夢」についての授業に目を輝かせていた。

  そうした子どもたちの半分がもう日本にいないわけで、現実は厳しい。失意のまま帰国した子どもたちが将来、再び日本に目を向けることはあるのかと思う。Yさんはきょうブラジルに帰国した。大学で教えながら日本から帰国した出稼ぎ者を追跡調査し、病気の治療のため地方からベレンベレンは人口160万人の大都市)にやってくる人たちが滞在する「サポートセンター」をつくるのが夢だそうだ。