小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

422 WBC異聞 清涼感漂う日本の戦い

遅ればせながら、野球のWBCについて書く。宿命の対決といわれた日本と韓国が今回は5回も対戦した。決勝は延長10回、それまでの不振を吹き飛ばすイチローのヒットで日本が辛勝し、2大会連続で優勝した。それはうれしいことだった。

不況のどん底で閉塞感が日本社会を覆っている中で、日本チームの戦いからは清涼感が漂ってきた。

この日、日本各地のいろいろな職場では仕事を中断して、テレビ中継に見入った人が多かった。テレビがない職場では、携帯電話のワンセグで音を消してひそかに実況を見ている人もいたらしい。一つだけあるテレビの前に集まり、野球に詳しい人の解説を聞きながら一喜一憂をした職場もあったようだ。

隣の事務所のラジオ中継を聞くために、廊下に出て耳をそば立てる姿もあったと聞いた。携帯メールで自宅から試合の展開の連絡を受けている人も少なくなかったらしい。もちろん、各家庭では奥さんたちがテレビにかじりついていただろうし、家電量販店の大型画面にも人だかりができた。それは、一年に一度あるかないかの騒ぎだった。

柔道と相撲が日本の伝統スポーツだ。だが、ワールドカップがあるサッカー、WBCのある野球の方が盛り上がり方は強い。今度のWBCは日本や韓国では国民的熱狂状態を作り出した。特に韓国は日本戦ともなると、力の入れ具合が違うから、決勝で負けたショックも大きかったに違いない。だから、フィギアーの世界選手権でキム・ヨナが浅田を破って優勝したことは、韓国民を大いに喜ばせたはずだ。

WBCに戻るが、米国はそう盛り上がらなかった。米国チームの戦い方は、日本と韓国に比べ淡白だった。大リーグの方が大事だという意識なのだろう。それに対し日本チームはまるで高校野球のような「ひたむき」な姿勢で戦った。これが多くの人の共感を呼んだのだと思う。たかが野球。されど野球である。

かつてロバート・ホワイティングが「菊とバット」(1977年)という本を書いた。野球を通じた日米比較文化論であり、日米野球の根本的な違い、日本野球の本質、問題点を浮き彫りにした作品だ。当時の日本の球団と大リーグとではその実力の違いは明白だった。大リーグは遠い存在だった。

それがWBCでは逆転してしまった。イチローや松坂、松井といったスター選手が大リーグで活躍している。そして米国野球界は認めたくないだろうが、日本の優勝という事実は個人プレーより、チームプレーを基本にするスポーツであることを示したのではないか。

それでも米国流の力の野球と日本のような技巧野球が対決する構図は極めて面白い。それがもう少し続いてほしい。大リーグが技巧野球に走ったら、魅力はかなり薄れてしまうのではないか。