小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

414 列島横断の旅 南と北を駆け抜ける

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 3月。残すところ10日余りで4月を迎える。急速に暖かくなりコブシもハクモクレン沈丁花も一斉に花を開いた。春がやってきたのだ。朝の散歩の途中のウグイスのさえずりが耳に心地いい。 ことしは、「静かに行く者は健やかに行く 健やかに行く者は遠くまで行く」(イタリアの経済学者パレード)の精神で日常を送ろうと思っていたが、ついせっかちな地が出てしまい、相も変わらない貧乏症の日々を送っている。

 松尾芭蕉奥の細道の序文で「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」(月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である)と書いた。このところ、旅に出るとこの芭蕉の言葉を思い浮かべることが多くなった。来る年も来る年も、旅人のような生活を送っているからだ。

 3月は春への序章を感じる季節だ。広島から神戸、加古川、大阪に続き、札幌、小樽を歩き、柳川(福岡県))、博多に足を踏み入れた。雑多な人ごみ、だれもいないうら寂しい夕暮れの街の双方を味わうぜいたくな時間が過ぎて行く。 広島で。職を求める日系ブラジル人たちの一途な表情に接する。家族のために、働きにやってきた日本。世界同時不況の波がこの人々を苦境に追いやっている。

「辛い仕事でも働きたい」という声が心に響く。 大阪で。友人に5年ぶりに再会。海外で暮らしていた彼は、昨年日本に帰国し、大阪に住んでいる。子どものいる外国人と再婚し、その子どもがプロの囲碁棋士を目指しているため、家族で帰国したのだという。新しい家族とともに夢を持つ友人は、かつての青年時代を彷彿させる若さを維持していた。

 神戸で。新神戸駅の隣にあるロープウェイに乗る。相客はいない。六甲を目指す。下りの車両にほとんど人影はない。終点で降りる。そこにも人はなく、土産物店の店員さんも手持ち無沙汰だ。大地震から復興した神戸の街は、霞んでいる。

 札幌、博多、柳川で。北と南の大都市は活気にあふれている。雪の舞う札幌時計台の夜景に友人たちと酔い、博多では地下街の人の輪の中に1人入り込んだ。北原白秋が生まれた柳川。川の街の夕暮れ、歩く人の姿はほとんどない。これが2009年3月の日本の姿だ。(写真は柳川の舟乗り場)