小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

372 旅する力 沢木耕太郎の本

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 沢木耕太郎は26歳のとき、1年間をかけて香港からバスを使ってユーラシアへの旅をした。「深夜特急」というノンフィクションとして作品化されるのは10年後のことで、産経新聞の新聞連載という形だった。 この後単行本として出版され、多くの人の共感を呼んだ。

「旅する力」は、還暦を過ぎた作家が青春時代を振り返り、この本を書くまでの経緯を記し、さらに旅への思いを書いた味わい深い作品だ。では、旅する力とはどんな意味なのだろう。 沢木は、この本の中で、旅には適齢期があると書く。

「旅をすることは何かを得ると同時に何かを失うことだという。しかし、齢を取ってからの旅は、大事なものを失わないかわりに決定的なものを得ることもないように思える。もちろん、30代には30代を適齢期とする旅があり、50代には50代を適齢期とする旅があるはずだ」というのである。

 さらに「20代を適齢期とする旅は、やはり20代でしかできないのだ。50代になって20代の旅をしようとしてもできない。残念ながらできなくなっているのだ。だからこそ、その年代にふさわしい旅はその年代のときにしておいた方がいいと思うのだ」と続ける。

 沢木は現在61歳だ。いまの沢木には、もう深夜特急のような青年の旅はできない。26歳の旅は、彼の人生を左右するものだったことがこの本の読者は理解するだろう。 深夜特急の旅で沢木を支えたのは運であり、旅する力だった。それは「食べる力、呑む力、聞く力、訊く力」なのだが、この旅で沢木が学んだのは「自分の無力さを自覚した」ことだったという。

 沢木は深夜特急韓国語版のあとがきで「旅には教科書はない。教科書をつくるのはあなただ」と書いている。漂泊という言葉を連想した。ガイドブックを持たずに、初めての土地を踏んだ26歳の沢木の旅は漂泊の旅だったのかもしれない。

 10代の終わりごろの夏、当時住んでいた横浜から歩いて遠い海を目指したことがある。小学校の体育館に泊まったり、野宿をしたりして炎暑の中を歩き続けた。ひたすら歩き自分を苛めることで、何かを発見しようと思った。取り立てて何かを発見することはなかった。しかし、どこに行っても親切な人に出会い、人生も満更ではないなと思った。それは、私の10代の終りのころの「適齢の旅」だった。  

 作家の重松清は、ことし読んだ本の中で心に残る3点の推薦書のトップに「旅する力」を挙げた。この本は作家をも惹き付ける「力」があるのだろう。