小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

374 どこに行く日本

 2008年が、このような一年になるとだれが予想しただろう。世界経済の不況によって住む家を失い、明日への希望をなくした人々のニュースが後を絶たない。企業は、生き残るためという大前提で多くの人たちをやめさせた。つい最近まで、史上空前の黒字を記録したはずのトヨタでさえも、率先して人を減らした。年末である。日本は来年、どこに行くのだろう。

 トヨタやキャノンをはじめ、多くの企業には最近まで好況によって黒字が続き、内部留保もだいぶあるはずだ。それなのに一番弱い立場の非正規社員を整理し、さらに正規社員にも手をつけようとしている。たしかに、企業が生き残るのにはリストラが一番簡単だ。しかし、それは一番大事な資源を失うことでもあるのだ。

  新聞には、タクシー運転手が殺され、現金を奪われる事件が連続して発生している記事が出ている。映画の世界と思っていた「夜逃げ屋」が繁盛しているという話も載っている。新聞から明るい話を探すのに苦労するのがこのごろだ。

 早朝、犬のhanaを散歩していて、富士山が見える公園に行った。ふだんならだれもいない時間帯である。一角に屋根付きのベンチがあり、ベンチに横になって1人が寝ているのを見た。わきにはその人の持ち物が積まれている。ホームレスだった。

 こんな郊外の公園でホームレスを見るのは初めてだ。かつて駅前のスーパーの食品売り場の試食コーナーには、ホームレスと思える人が出入りしていた。しかし、その姿はここ2、3年なかった。公園のホームレスは、厳しい時代に入ったことを裏付けているように思えた。

 少し足を伸ばす。私の日常の散歩コースにある池よりもやや大きな池にたどり着いた。その近くには、もう水仙の花が咲いていた。少し気持ちが明るくなり、ワーズワースの詩を思い浮かべた。

  谷また丘のうえ漂う雲のごと、

 われひとりさ迷い行けば、

 折しも見出たる一群の

 黄金色に輝く水仙の花、

 湖のほとり、木立の下に、

 微風に翻りつつ、はた、躍りつつ。

 

 (田部重治訳)