小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

364 「おくりびと」で知った死者への礼 本と映画から思う人生模様

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 最近読んだ2冊の本「危機の宰相」(沢木耕太郎)、「無人島に生きる十六人」(須川邦彦)と、遅ればせながら見た映画「おくりびと」から、私なりに「人生模様」を考えた。偶然にしても、全く異質の世界の話である3作品から得たものは少なくなかった。 映画「おくりびと」は、人間の死に際して、遺体をお棺に納める「納棺師」の話だった。そんな職業があることを多くの人は知らないはずだ。葬儀社の社員がやる仕事だと私も思っていた。

 人間は必ず死ぬ。そして、こうした人の手を煩わすのだが、納棺師という職業につい、私も変な先入観を持っていた。死体に触るという嫌悪感であえう。「遺体に清める仕事」に対する理解不足だ。しかしこの映画を見た人は「人の死」にあって納棺師のような存在は決して疎まれるものではないことに気づくはずだ。死者への礼、尊厳をこの映画は教えてくれるのだ。映画を見た人は、たぶん心が静かになるはずだ。

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 危機の宰相は、日本の高度経済成長時代の首相、池田勇人が打ち出した「所得倍増政策」誕生の背景を丹念に取材したノンフィクションである。沢木がこの作品を発表したのは池田の死後の1977年のことであり、当然池田自身への取材はないが、池田のブレーンの2人を含めた池田時代を肯定的に描いている。

 この作品から「生と死」という言葉を連想した。池田は大蔵省で官僚の道を歩みながら、天然痘に似た重症の奇病にかかり再起不能と思われながら不思議な運が彼を復活させる。事務次官―政界へと進み、ついに首相の椅子に座り、戦後の黄金時代の舵取り役を果す。しかし絶頂期の病(喉頭がん)による辞任、それに続く死という池田の生涯を見ると、この言葉が頭から離れない。

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 無人島に生きる十六人は、明治32年、南太平洋のサンゴ礁座礁し、漂着した無人島で約5ヵ月の生活を送る男たちの実話だ。難破した船長の話を後輩の須川が物語として書いたものだ。男たちを支えたのは、次の4つの精神だ。それは危機にあっても人間として何が大事かを率直に語りかける。

  ①島で手に入るもので、暮らして行く(生き延びるために残った食料はぎりぎりまで使わないという意味)②できない相談を言わない③規則正しい生活をする④愉快な生活を心がける―である。分かりやすい「危機管理」策ではないか。4点目が特に大切だ。いつ助けられるか分からない状況下では、人間は絶望的になってしまう。それを忘れるために、16人は様々な工夫をする。

 その結果、彼らは全員無事で日本に生還することができたのである。自暴自棄になって、人を殺してしまうという行為が横行する現代に生きる私には、16人の精神力の強さに衝撃を受ける。