小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

307 肘折温泉にて コーヒーの思い出(3)

  宿の支払いを済ませて、車に乗り込んだ私たちを宿のおかみさんと娘さんが見送ってくれた。振り返ると、おかみさんは車に向かって、手を合わせていた。

 「へえ-信心深い人だ」と感心した。「私たちの道中が無事でありますようにと祈ってくれたのだろうな」。そう思った。活発な娘さんと穏やかそうなおかみさんの姿が心に残った。

  その日、私たちは事故現場でさらに一仕事をして、夜、帰途についた。山形から仙台に行くには、関山峠を通る。野生の猿がすむほどの険しい峠道も、舗装された道路になり、車がしきりと行き交うが、峠の夜は暗く、車はヘッドライトを頼りに進んだ。

  あいにく雨が降ってきて、視界はすこぶる悪い。車の運転手はスピードを落として慎重にハンドルを握っている。対向車のライトが目に入り、その光は猛烈なスピードで近付いてきた。なぜかいやな予感がした。案の定だった。双方の車がすれ違った途端「ガツン」と激しい音がした。危なかった。私たちの車は路肩すれすれに止まった。道路のわきは真っ暗で何も見えないが、そこは深い谷底なのだ。

  まかり間違うと、私たちの車は衝突のショックで谷底に転落していたかもしれない。だが、運よく事故は軽い接触で済んだ。相手の車はそのまま逃走を始めた。

  私たちの運転手はUターンすると、相手の車を追いかけた。さすが、プロである。峠道でもあっという間に追いつき、相手の車を追い越して停車させた。逃げた車の運転手は酒酔い運転だった。近付くと酒のにおいがする。

  とんだ車にやられたものだ、と私は嘆きながら、半面で助かったと安堵した。その時、朝出発するときの宿のおかみさんの合掌した姿を思い出していた。あの合掌が私たちを救ってくれたのかもしれない。ふだん、神の存在を信じていない私だが、このときばかりはおかみさんの客を大事にする気持ちが神に通じたと思ったものだ。

  いまでも、私は時折カラカラとなるこけしを振ってみる。それは郷愁を感じさせる特別な音なのである。         (完)