小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

102 映画は小説を超えられるか「バッテリ」ーを見る

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 児童文学者・あさのあつこの野球小説「バッテリー」が映画化された。小説は文庫本として第5部まで出版され、超がつくベストセラーになった。完結編の第6部も近日発売になる。天才投手と捕手の友情や病身の弟を抱える投手の家族の問題を描いた児童文学だ。 小説を読んで、これは映画になるかなと思っていた。3月、映画が公開になった。  

 春休みの土曜日のことだ。気にはなっていたが、映画館は小中学生でかなり混んでいた。それはいいのだが、子供たちのマナーが気になって映画をじっくり見ることができなかった。 隣の男の子は、買ってきた菓子を食べる際、ビニール袋に手を突っ込み、がさごさと音を立てる。前列の女の子たちは、映画が始まっているのに、おしゃべりを続ける。

 気になって「少しうるさいよ」と、隣に注意をすると、男の子はなぜ注意されたかの分からないのか、その隣の友だちに「うるさいっていわれたよ」と小声で訴えている。それで食べるのをやめるのかと思ったが、それもしない。女の子たちのおしゃべりもかなり長い間続いている。 1時間ほどが過ぎて、映画が佳境に入ると、ようやく静かになった。子供たちにも映画の内容が伝わり始めたのだろう。

 映画を観ながら考えた。これは原作を超えているだろうかと。小説を映画化した作品は数多い。「伊豆の踊り子」や「砂の器」、「風とともに去りぬ」はあまりにも有名だ。南木佳士の「阿弥陀堂だより」も心に残っている。名作を映画化するのは難しい。 原作のよさが映画化されると、失われる恐れがあるからだ。

 映画のバッテリーは、忠実に原作を再現しようと努めたことに違いない。しかし、原作で描かれる主人公たちの「心の動き」が映画では伝わってこないのである。 ただ、映画が終わっても、あのうるさかった子供たちがしばらく席を立たなかったのをみると、子供たちには十分うけたようだ。この子供たちに、(読んでいなのなら)ぜひ原作も読んでほしいと思いながら映画館を出た。