小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

355 時間の過ごし方 3本の映画から

  映画ファンには増えつつあるシネマコンプレックスシネコン)、あるいはマルチプレックスシネマ(英語表記:Multiplex Cinemas)と呼ばれる形式の映画館はうれしい存在だろう。同一施設に複数のスクリーンがある映画館のことである。こうした映画館に足を運ぶ一人として、最近「レッド・クリフ」「まぼろしの邪馬台国」「闇の子供たち」という3本の映画を見た。

  いずれも話題作である。観客数は書いた通りの順であり、最後の作品は数えるほどしかいなかった。しかしこの「闇の子供たち」が一番重く心に残った。タイを舞台に臓器移植目的の幼児の人身売買や児童買春を扱った作品だ。

  ノミネートされていた9月のバンコク映画祭では上映が禁止になったという。確かに吐き気が催すほどの不快なシーンも少なくない。テーマの一つである児童買春はタイでは存在するという。もう一つの臓器移植のための人身売買は疑問を呈する専門家が多く、「フィクション」と思いたい。しかし、タイだけでなく、途上国の多くの国で子供たちの命が粗末に扱われていることは言うまでもない事実であり、阪本順治監督の世界の現実を直視してほしいというメッセージは伝わってくる。

  結末は梁石日の同名の原作とは違っている。だが、この結末には素直についていけない。それまで主人公の新聞記者は、命の危険を恐れずに闇の世界を取材していたはずだ。それが、取材される側と同じ側にいたというのだから、どんでん返しを狙ったにしては、奇をてらい過ぎた感が深い。もともと内容が暗い。その上このラストを見て、後味が悪く、家路への足取りが重くなった。

  では「レッド・クリフ」「まぼろしの邪馬台国」はどうだったか。「闇の子供たち」に比較して、爽快さがあった。中国の三国志での有名な「赤壁の戦い」をジョン・ウー監督が100億円をかけて制作した娯楽作品の前編の「レッド・クリフⅠ」は、肩が凝らない。諸葛亮孔明)役の金城武と、小喬役の林志玲(リン・チーレン)が印象に残った。いつの世も戦がつきまとうが、この時代の多くの人は戦うために生まれてきたようなもので、人の命より名誉が大事にされた時代だったのかと思う。

 「まぼろしの邪馬台国」は、邪馬台国が島原にあったとして、その場所を生涯探し続けた盲目の宮崎康平竹中直人)と、盲目の彼を支えた妻・和子(吉永小百合)の話を映画化した。お笑いの綾小路きみまろ柳原可奈子も起用されていて、吉永小百合ファンだけでなく、多くの年代層を狙った映画作りをしたようだ。しかし、よくも悪しくも吉永小百合の映画だ。それ以上の域には達していないという感想を持った。