小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

698 小説・映画「悪人」 現代日本にはそれより悪い奴がいる

画像 悪人の定義は「心の邪悪は人、悪事を働く人、悪者」とある。芥川賞作家、吉田修一の「悪人」の主人公は、たしかに悪事(殺人)を働いた人物だ。しかし、心は決して邪悪ではない。気が弱くて、自分の意見をはっきり主張できないごく普通の青年だ。

 出会い系サイトで知り合った建設作業員の青年が保険外交員の若い女性を殺したあと、同じサイトで出会った女性とともに逃避行をする。殺人事件は別の大学生が容疑者として追われるが、大学生は殺人を犯してはいなかった。 警察に追われた建設作業員は、逮捕直前一緒に逃げた女性の首に手をかける。

 一人を殺し、さらにもう一人にも手をかけようとした「悪人」であると示し、女性が自分の意思で逃避行に同行したのではなく、拉致されたためと見せたかったからだ。 この作品の中では殺人事件を起こした青年よりも、殺人事件へと誘発させてしまった金持ちの息子の大学生の方が「悪人」だ。

 しかし、世の中には日常的に悪事を働きながら、それを隠している人物は少なくないのではないか。被害者の父親が大学生を突き止め、さんざん侮辱されながら、持っていたスパナを振り回さず、大学生の足元に投げて立ち去る場面は、悪に対して暴力で対抗すべきではないという吉田のメッセージだと思っていい。  

 現実の日本社会を投影した作品であり、李相日監督がメガホンをとり、殺人犯に妻夫木聡、一緒に逃げる若い女性に深津恵理が扮した映画が間もなく公開になる。カナダの第34回モントリオール世界映画祭で、この映画で深津が最優秀女優賞を受賞した。深津は2006年の「博士の愛した数式」で見ただけだが、あまり目立たない控え目な女優だと思っていた。

 李監督は同じ2006年のヒット作「フラガール」で一躍有名になった新潟出身の監督だ。 原作がヒットした小説を映画化したものを観る際にいつも基本にしているのは「映画は原作を超えることができるか」ということだ。原作自体は大佛次郎賞毎日出版文化賞をダブル受賞したのだから、文学作品として大きな評価を受けている。

 映画化に際しては、李監督と吉田が共同で脚本を書いたのだという。原作よりも、より視覚化を狙ったのではないかと思われる。 この作品を読んで、世の中にはいかに悪人が多いか考えた。こういう私自身もあるときには、悪人になっているかもしれない。悪の定義は実は難しいのだ。