小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

389 食べるためには アフガンの人身売買

 昨年、タイを舞台にした映画「闇の子供たち」(阪本順治監督)を見て衝撃を受けた。生活難の親が食べるために幼い子供を売り、その子供たちは児童買春の相手となり、さらには臓器移植のために殺害されるという、重いテーマを扱った映画だった。

  臓器移植のために子供たちが殺されことは、フィクションという見方もあった。しかし、最近の報道を見ると、世界のどこかでそうした忌まわしい行為が間違いなく存在するようだ。

 その実態をアフガニスタンからの報道で知った。カブールからの共同電(遠藤記者)によると、アフガンでは農民の間で昨年秋に干ばつの被害で農作物が実らなかったためにその日の食べるものに困り、幼い子供(娘)を借金の返済費用として売るケースが相次いでいるという。高齢の男性が10歳前後の女児を買って、3人目、4人目の妻にすることが多いのだそうだ。

  それはいい方で、中東の売春組織に売られてしまうこともある。一方、男児の方は麻薬組織に売られて、大人になると臓器売買のために殺害されることが多いと、共同電は伝えている。こうした児童売買の被害者は数万人単位に及んでおり、戦況の悪化と干ばつ被害の影響で飢餓が進めば、さらに増えるというのが現地NGOの見方だという。

  アフガンは、旧ソ連の侵攻に続き、9・11テロの後の米国のタリバン掃討作戦で戦火にさらされた。しかし、タリバンはいまも健在で、米国を中心とする外国部隊と戦闘が泥沼化している。多くの国民は生きるのが精一杯という実態の中で、人身売買が横行するのだろう。

  アフガンだけではない。ハマスイスラエルの戦闘で多くの市民が犠牲になった「ガザ」の問題を新聞やテレビ報道で見ていて、時代、歴史、国が変わっても人間の愚行は繰り返されるのだと諦観を持った。文明は発展しているはずなのに、人間は制御(コントロール)心を失った弱い動物なのだろうかと、暗い気持ちになった。