小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1353 二足のわらじの芸術家たち 多彩な才能に畏敬

画像手近にあったCDをかけると、ロシアのアレクサンドル・ボロディン(1833~87)の「ノクターン~弦楽4重奏曲第2番ニ長調第3楽章」が流れてきた。ボロディンといえば作曲家のほかに化学者の顔を持ち、二足のわらじを履き続けた人である。多方面に才能を発揮した人物と言えば、イタリア・ルネッサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)がいるが、一芸だけでなく多芸に才能を発揮する存在は少なくない。 ダ・ヴィンチは、「最後の晩餐」や「モナ・リザ」という絵画があまりにも有名だが、発明家としても知られている。文学作品にも取り上げられアメリカのダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』は映画化され、話題になった。日本では最近、真保裕一が『レオナルドの扉』(角川書店)というイタリアを舞台にした冒険小説を出版した。ダ・ヴィンチが残した新型兵器に関するメモの争奪をめぐる物語である。 真保によれば、ダ・ヴィンチのメモ(手稿)を記したノートは5000ページ近くが発見され、研究が続けられているという。その中には絵画のほか、数学、天文学、土木、軍事技術など様々な分野の研究成果がつづられ、ダ・ヴィンチの天才ぶりが分かり、その周辺は想像をかき立てられることが多いのだという。だから、文学作品のテーマにもなるのだろう。 24歳8カ月で亡くなった詩人、立原道造(1914~1939)もボロディンと同じく2足のわらじ組だった。彼は東大在学中に建築設計分野の辰野賞(東京駅などを設計し日本の近代建築の先駆者である辰野金吾を記念した東大の表彰制度)を3年連続して受賞している建築家でもあった。第1回の中原中也賞芥川賞受賞作家の辺見庸も2011年に受賞)を受賞したのは亡くなる直前の1939年2月のことである。立原がもう少し生きていたなら、歴史的な建築物を残したに違いないと思うと、残念でならない。 冒頭に記したボロディンは、ロシアの国民学派の作曲家グループ「ロシア5人組」の一人だ。同じメンバーのリムスキー・コルサコフからは「日曜日の作曲家」と評され、作品はそう多くはないが、交響詩中央アジアの草原にて』など、名曲も残っている。彼の名前をとって1945年に結成されたボロディン弦楽四重奏団は世界でも活動歴の長い弦楽四重奏団でといわれ、現在も活動中である。私のCDはこの弦楽四重奏団の演奏のものではなく、ベルリン・フィル弦楽ゾリステン(安達徹らベルリン・フィルのトップ奏者による演奏)の演奏で、叙情的美しさに外の悪天候を忘れて聴き入った。