小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

876 「天災は忘れるころにやってくる」という言葉 寺田寅彦と中谷宇吉郎

地球物理学者で随筆家としても知られた寺田寅彦の言葉として「天災は忘れたころにやってくる」がある。東日本大震災に見舞われたことしは、この言葉を思い出した人は多いだろう。

自然災害が多い昨今は「天災は忘れないうちにやってくる」といってもおかしくないが、地球環境の変化が大きい時代だけに、寺田の言葉は今後も生き続けるのではないかと思う。

だが、この言葉は寺田の文章としては残っていないという。寺田の弟子で雪の結晶・人工雪の研究者であり、随筆家でもあった中谷宇吉郎は寺田の「天災と国防」という随筆の「畢竟そういう天災が極めて稀にしか起こらないで、ちょうど人間が歯車の転覆を忘れた頃に そろそろ後車を引き出すようになるからであろう」を要約し、「寺田先生は、天災は忘れたころにやってくると言い続けた」と紹介したという。中谷は「天災は忘れた頃来る」という随筆も書いている。

講談社学術文庫の「天災と国防」を読んでみた。1934年(昭和9)に書かれたエッセーだが、こんなくだりがある。

「戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない。それだから国家を脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである。たとえば安政元年(1854)の大震のような大規模なものが襲来すれば、東京から福岡に至るまでのあらゆる大小都市の重要な文化背ちびが一時に脅かされ、西半日本の神経系統と循環系統に相当ひどい故障が起こって有機体として一国の生活機能に著しい麻痺症状を惹起するおそれがある。こういうこの世の地獄の出現は、歴史の教うるところから判断して決して単なる杞憂ではない」

的確な予言である。しかし、東日本大震災が起こりこれほど世に知られた寺田の警告は生かされなかったことが証明されてしまった。政治家も官僚も学者たちも大震災を「想定を超える」という表現で、逃げの姿勢に終始したのだった。

タイでは、首都バンコクまで洪水に襲われている。「想定外」という言葉で解決できないほど、自然現象は人智を超えることがある。そんな時代だからこそ寺田や中谷の文章を繰り返し読んでみたいと思うのだ。