小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1672 方丈記と重なる少女の災難 胸えぐられる光景

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 大阪府北部で最大震度6弱を観測した18日朝の地震で、高槻市の市立寿栄(じゅえい)小学校のブロック塀が倒壊し、小学4年の三宅璃奈さん(9)が死亡するなど、大阪を中心に大きな被害が出た。大阪に住む友人に連絡すると「怖かった」という声が返ってきた。

 天変地異が相次いだ時代に生きた鴨長明(1155-1216)は、『方丈記』で人生の無常を記したが、その中にも土塀が崩れ、子どもを亡くした武士の号泣する姿が描かれている。いつの時代でも突然子どもを失った親の悲しみの深さは変わらない。

方丈記』には、長明が31歳の時に発生した元暦2(1185)年の大地震(一般には文治地震と呼ばれる)の際に目撃した光景が出ている。

 それはすさまじい巨大地震で、山崩れが起きて土砂が川を埋めた。海が傾いて津波が押し寄せ、大地は裂けて水が噴き出し、巨岩は割れて谷底に転がり落ちた。海岸近くを漕ぐ船は打ち寄せる大波にもてあそばれ、道行く馬は足場を失って棒立ちになった。都付近では堂や塔も何一つ無傷なものはなく、崩れたりひっくり返ったりしている。塵や灰が立ち上り、煙のように空を覆っている。大地は鳴動し、家屋の倒壊する音は雷鳴の轟音のようだったという。  

 続いて、長明は幼い子が犠牲になったことを記している。以下、武田友宏編『方丈記(全)』(角川文庫)からの現代語訳の抜粋。

「ある武士に6、7歳ほどの一人息子がいた。この激震のさなか、その子は、屋根のついた土塀の下で、かわいい小家を作り、たわいなくあどけない遊びに夢中だった。と、突如、土塀が崩れ、一挙に埋められて姿が見えなった。  

 ようやく掘り返したところ、小さな体は瓦礫でぺしゃんこに押しつぶされ、二つの眼の玉なんか一寸(約3センチ)ほども飛び出してしまっていた。両親は愛児の遺骸を抱えて、声を張り上げて泣き悲しみ合った。私はその現場を胸をえぐられるような思いで目撃した。愛する子を失った悲しみは、勇敢なる武士ともいえども、恥も外聞もなくしてしまうものなのだと実感した。気の毒に、こんなに嘆くのも無理はない、と心の底から同情した」  

 巨大地震の光景は7年前の東日本大震災で私たちが見た光景と酷似している。武士の子どもの痛ましい話は高槻の璃奈さんの不慮の死に重なる。とはいえ、璃奈さんの死は危険なブロック塀を市が放置したための人災といっていい。

方丈記』は自然災害の多い日本人への警鐘の文章としても読むこともできる。手元に置きたい書である。  物理学者で随筆家の寺田寅彦は「災害は忘れたころにやってくるものだ」と警告した。長明も方丈記で同じ趣旨のことを書いている。

地震直後のしばらくは、だれもかれも、天災に対していかに人間が無力であるかを語り合い、少しは欲望や邪念といった心の濁りも薄らいだように見えた。だが、月日が経ち、何年か過ぎてしまうと、震災から得た無常の体験などすっかり忘れ果て、話題に取り上げる人さえいなくなった」と(前掲書より)。

 先人たちの教えを忘れてはならないと思う。

 写真は北海道滝川市の菜の花畑の母子(記事の内容とは関係ありません)