小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

825 いいたては「愛あふれる村」 再会の日はいつ・・・

画像原発事故で、村全体が「計画避難区域」に指定された福島県飯舘村。呼び方は「いいだて」ではなく「いいたて」なのだ。 私の手元に「愛あふれる村 いいたて」という題名で、愛の俳句に村の自然の写真をつけた「心和む」一冊の本がある。本を手にとって、村から離れなければならなくなった村民たちの無念さを思った。人影が少なくなった村はこれからどんな歩みをするのだろう。 最近、テレビや新聞にしばしば登場する菅野典雄村長が「住む人の愛の心が、村の顔です」と、この本のことについて書いている。 村長になって、自分は何を村に残せるかを問いかけ、人と人との縁だと思い至り、「愛ある村づくり」を始め、行き着いたのが飯舘で産出する御影石に愛の言葉を刻んだ遊歩道をつくる計画だったという。俳句の選者をたまたま新聞で見た黛まどかさんに手紙を送り、快諾を得、全国に愛に関する俳句を募り、優秀作品を御影石に刻んで句碑として遊歩道に並べたのだ。 菅野村長は書いている・「この事業を通じて人にはそれぞれの愛の想いがたくさんあり、そのいずれもの愛も人の心を癒し、元気づけ、勇気づけ、そして心優しくしてくれること・・・愛がある限り、人間は生きられるし、人生は捨てちゃもんじゃないとの思いも味わった」。 選者の黛まどかさんは「俳句は物言わぬ文学といわれる。直截的に思いを述べず、物に仮託して思いを伝える」と記している。さらに「第1回の除幕式の日、愛の句碑の前に一人佇み、いつまでも涙を拭っておられる女性を見かけた。妻へ、夫へ、泣き父母へ、初恋の人へ、愛する子供や孫へ・・・。愛の欠落が原因となり、凄惨な事件が多発している昨今、飯舘村の愛の碑林が、現代社会に疲れた人をあたたかく迎え、癒し、愛の大切さをきづかせる郷となるよう念じている」と結んだ。 遊歩道の並ぶ句碑にはこんな句がある。「再会の水といふ水澄みにけり」(上條亜紀子)「リラ冷えの朝パリ宛てのラブ・レター」(関根通紀) 飯舘の自然は「ふるさとの原風景」といっていい。本の写真を見ながららそう思った。そのふるさとを奪われた人たちが、村に戻り平穏な生活をする日がやってくるのかどうか、国も東電も答えを出していない。
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