小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

800 までいの里よ 大災害・人災を見通していた飯舘村長

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 福島県北部に「までい」という言葉がある。食事、育児、仕事などを「のんびり」「ていねい」「じっくり」「手間ひま惜しまず」にしようというかけ言葉に使われる。気ぜわしい現代だからこそ、この言葉が新鮮に聞こえる。この言葉を再確認したのは、いま原発事故で有名になった飯舘村でのことだった。

  その飯舘が、理不尽にも原発事故で苦境に陥っている。村で出会った人たちはどうしているのだろうか。

  この村は、福島県北部の標高約400メートルの阿武隈高地にあり、私が訪れた2007年11月当時の人口は約6450人だった。それから3年半が過ぎ、現在は6150人まで減ってしまっている。村民の多くは兼業農家で、中には車で片道2時間 をかけ仙台市まで通勤している人もいるという。

  合併は拒否した。周辺の市町村と結成した合併協議会からは途中で離脱し、自立の道を歩んだ。震災と福島第一原発の事故がなければ、その歩みを模索するはずだ。しかし、福島第一原発から一部が30キロ圏内にあり、屋内退避対象になったのだ。村内の土壌からは高い濃度の放射性物質が検出され、3分の1を上回る2400人以上が村外に避難している。さらに妊婦と乳幼児も一時村外に避難させることが決まった。普段でもさびしい村は、ゴーストタウンのようになってしまうのではないか。

  07年、この村で「日本再発見塾」が開かれた。日本の元気を取り戻そうと、俳人黛まどかさんや元マラソン選手の増田明美さんらが呼び掛け人となり、日本の各地にある伝統やさまざまな作法を再発見することを目指して開催するイベントの3回目に飯舘が会場となったのだ。このとき、迎える側を代表したのが菅野典雄村長だ。このときのあいさつは今度の震災・原発事故を暗示しているように思う。菅野さんはこう言ったのだ。

 「日本は世界一安全な国だったが、いまは世界一危ない国に近づいている。効率一辺倒で走ってきた後遺症だ。までいライフで人と人が心を通わせてほしい」

  安全神話が崩れた原発事故は、まさに菅野さんの言葉通りではないか。菅野さんはきょう、「ことしはコメを作ることはできないのはないか」と、コメ作付けが難しいとも語っている。

  原発に関しては、これまで原子力安全委員会経済産業省原子力安全・保安院とも「安全対策を十分にやっているので、安全だ」と「安心神話」を繰り返してきたが、このところ急に「間違いだった。対策を見直す」と反省の弁が目立っている。なぜ、これまで彼らは安全神話を信じてきたのだろう。不思議でならない。

  原発の事故は予断を許さない状況が続いている。そんな中で、一夜を語り明かした人たちが苦境にいる。「までいの心」で、苦境を乗り切ってほしいと、願わずにはいられない。