小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1318 「がんばっぺ までいな村」 原発事故で全村避難の飯舘村が絵本に

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東日本大震災から3年8カ月が過ぎた。東京電力福島第1原発事故で、避難した福島の人々の多くは依然として故郷に帰る見通しがつかないまま、むなしい日々を過ごしている。その中に全村避難となった飯舘村の人たちが含まれている。日本のふるさとのような存在の飯舘の震災の前と後を描いた絵本が出版され、絵を描いたかとーゆーこさんの「原画展」が16日まで東京・秋葉原の画廊で開催された。 飯舘村のことは、このブログ(下記の通り)で何度も書いている。『までい』という方言で知られた農村だ。「手間ひま惜しまず、ていねいに、心をこめて、つつましくという意味で、古くから、この村で大切にされてきた言葉」(絵本より)が示すように、大震災がなければ、村の人たちは、美しい自然のなかでつつまして生きてきたはずだった。 しかし、原発メルトダウンという大事故によって村に放射能が容赦なく降り注いだ。絵本『がんばっぺ までいな村』(シーズ出版、税込1500円)は、飯舘の事故前の姿から村の人たちが泣きながら故郷を離れていく姿、全国からの励まし、クリスマスや成人式の様子、いつか村へ戻りたいという願い―などを絵と文(英文も)で表現した。 飯舘村長夫人の菅野允子さんが文を書き、絵は絵本作家のかとーゆーこさんが描いた。最初の場面には「飯舘村は、自然のゆたかな 美しい村だった。風も 空気も 村の人たちも ゆっくり ほっこり やさしい村だった。みんなで力をあわせて までいに くらしていた」と書かれ、桃源郷のような飯舘が紹介されている。だが、飯舘は2011年3月11日以降、悲劇の村になる。それが絵本に描かれている。 かとーさんの原画展は、絵本に載せた原画18点と、日本の生き物たちを四季の移り変わりとともに描いたタペストリー作品8点を展示した。かとーさんは「時が経つにつれ震災の記憶が風化し、忘れ去られてしまう中、いまでも目に見えないものと戦い続けている村の人たちの歩みを絵本の形で記録し、伝えていきたいという、菅野允子さんの言葉から絵本ができたのです」と語っている。かとーさんの絵が美しいだけに、絵本からは牧歌的な村の悲しみが伝わる。14日午後には、允子さんによる絵本の朗読会があり、夕方のTBSテレビのニュース特集でも取り上げられた。 「のど元過ぎれば熱さも忘れる」ということわざがあるように、過ぎてしまえば、その苦しさを忘れてしまう。あれほど被災者たちの悲惨な実情に涙を流したはずなのに、いまでは被災者は忘れ去られた存在といっていい。12月には争点なき総選挙があるらしい。そんな現代日本の姿に、この絵本は警鐘を鳴らしているといっていい。 「ふるさとは母のにほいや凍み大根」俳人黛まどかさんは、この絵本にこのような句を寄せた。
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以下は飯舘関連の私のブログ 住む人がいない家に咲く桃の花 福島・飯舘・南相馬にて 黛まどかさんの「歌垣」 日本再発見塾「までいの村・福島・飯舘」 までいの里よ 大災害・人災を見通していた飯舘村長 「心に刻む応援のメッセージ」 福島・川俣にて いいたては「愛あふれる村」 再会の日はいつ・・・ 福島原発・3つの重い言葉 「闇の中の一筋の光」