小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

700 いい人たちがなぜ? 悲劇の島を描いた「終わらざる夏」

画像 太平洋戦争で日本がポツダム宣言を受託、連合国に無条件降伏を通告したのは1945年8月14日だ。その翌15日、昭和天皇が放送を通じて終戦詔書を朗読、国民に日本の敗戦を公表した。 しかし、この後も千島列島には日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連が侵攻、日本軍との間で戦闘が続いた。この作品は千島列島最北端のカムチャッカ半島に近い占守島(シュムシュ島)で実際にあった戦闘をモデルに、この戦いに巻き込まれた人たちを中心に抒情性豊かに描いている。 太平洋戦争当時、日本とソ連の間には相互に不可侵とする条約が結ばれていた。だから、日本の軍部は敗色が濃くなってもソ連が攻めてくることを強く意識はしなかった。だがソ連は8月8日、日本に対し宣戦を布告、翌9日には旧満州に攻め込んできた。 さらに日本が無条件降伏を通告したにもかかわらず、15日以降千島列島にも次々に兵力を注ぎ込んだ。 何も知らない日本国民からすれば「火事場ドロボー」的行為である。しかし、ソ連の侵攻には裏があった。この年の2月、ヤルタで開かれた米・英・ソの首脳会談(ヤルタ会談)で日本を早期に降伏させるため、ドイツが降伏してから2、3カ月後にソ連が対日参戦し、その見返りに日本が負けた暁には南樺太ソ連に返還させ、千島列島をソ連に引き渡すべきだと合意したのだ。この動きをキャッチできなかった当時の日本は情報収集力・情勢分析力でも連合国にはとても及ばなかった。 だから旧満州では攻め込んだソ連軍に対し、関東軍はなす術もなく慌てふためく。占守島にいる強力な第91師団(2万3000人)も、降伏したあとソ連軍が攻めてくるとは考えていない。米軍だけしか頭になかったのだ。しかし、スターリンの指示でソ連軍がやってきて、激しい戦いが始まる。 浅田はこの作品で、米軍との和平交渉のために通訳要員として召集された45歳の出版社員片岡直哉、軍医の菊池忠彦、満州事変で手柄を立てた鬼熊こと、富永熊男の3人を軸に、多くの個性的人物を物語の中に配置する。 その中にはソ連の兵士も含まれる。そして、この人たちは、ごく一部をのぞいて「いい人たち」である。こんないい人たちが存在したのに、なぜこうした悲劇が起きたのだろう。 作品は、占守島の激しい戦いについては多くを割いていない。実はここでの戦闘は日本側が勝っていた。しかし、連合国に無条件降伏したという事実を踏まえ、日本側は戦い途中でソ連に降伏する。生き残っていた兵士たちは、旧満州の兵士と同様、理不尽にもシベリアに抑留され、強制労働を強いられる。3人のうち生き延びた菊池は多くの仲間を失いながら「必ず日本に帰る」と自分に言い聞かせる。 ちなみに、最終章の終わりにヘンリーミラーの薔薇色の磔刑(たっけい)・第一部「セクサス」が出てくる。片岡が生きていれば、自分が翻訳して出版したいと熱望した奔放な性表現が入った作品の一部だ。これを終わりに持ってきた浅田の思いが分かるような気がする。現実には終戦から4年後の1949年に「薔薇色の十字架1 セクサス」として翻訳された本が出版され、日本でもヘンリーミラーは知られた存在になっている。 残念に思ったのは、前半部分に比べ、中心人物の片岡の占守島での動きがあまり描写されていないため、肩透かしにあったような印象を受けたことだ。そうだとしても占守島の孤独な戦いに巻き込まれた片岡やその周辺の人たちを通して、戦争の理不尽さ、非条理を訴えたこの作品を多くの人に読んでほしいと思う。