小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

658 ライバル紙の失敗 相撲協会と記者たち

けさ(6日)の産経新聞の「産經抄」は面白かった。辛口のコラムで知られるが、こんな書き出しでライバル紙の失敗に触れていたからだ。

きのうの朝刊各紙は一面で、日本相撲協会の理事長代行に、元東京高検検事長の村山弘義さんが指名されたことを伝えていた。読売新聞や毎日新聞の読者のなかには、頭が混乱した人もいたかもしれない。なぜなら両紙は前日の一面で相撲協会が外部からの理事代行を拒否して放駒親方を指名する方針を決めたと、大きく報じていたからだ。確かに、力士以外の人間が協会トップの座に就くのは許せないと、親方衆の鼻息は相当荒かったようだ。

こんなふうに、コラムは進み、村山さんを推薦した特別委員会の座長の伊藤滋早大特命教授の父親が作家の伊藤整であることを紹介し、家族を守った伊藤整のエピソードを交えながら「親方衆が外部の人間を排除して守ろうとしているのは何だろう。伝統文化を担えるのは、自分たちだけだという自負か。それとも、1億円以上の額で取引されているらしい年寄り株など、表沙汰になっては困るしきたりなのか・・・」と書いている。

このコラムで、読売、毎日両紙は刺身のツマのように扱われている。同業者への配慮かもしれないが、誤報に対する追及はない。実は、両紙の相撲担当記者は角界の旧弊にどっぷりとつかってしまい、世間の常識を忘れてしまったに違いない。

今回の野球賭博問題は、以前のブログでも書いたが、週刊誌の報道で火がついた。日常的に角界と付き合っている記者たちは、「何をいまさら」と思ったのだろう。

親方衆には、相撲の世界を知らない外部の人間にかき回されたくないという思いがあったのだろう。そんな思いが記者たちにも伝わる。親方衆と仲間のようになってしまった記者らは、ついその思いを代弁する。それが読売、毎日の誤報の背景にあるのではないか。

この問題で、相撲記者クラブ会友と称する人たちがテレビでコメントをしている。彼らこそ出演を辞退すべきだ。角界がここまで落ち込んでしまった責任の一端は彼らにもあると思うからだ。日常的に力士や親方衆と接していて、その行動を知らないわけはない。今回の問題はメディアにも反省を求めているのである。