小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

654 器量の小さい人たち 力士たちよ世の中を知ろう

 「小人閑居して不善をなす」という言葉がある。広辞苑によると「器量の小さい人はひまでいると、つい、よくないことをする」という意味だ。大獄親方と大関琴光喜が解雇処分になり、理事長はじめ多くの理事・力士が謹慎処分となった相撲界の「野球賭博」問題を見ていると、こんなことを思ってしまう。私自身がそうだったからだ。

  力士たちは、体は普通の人よりも大きい。しかし、器量という点では体の大小は関係ない。場所中とそれ以外の時期では、時間の送り方は違うのは当然だ。でもいつもけいこをしているわけではないので、普通の勤め人に比べると角界の人たちは時間がゆったりしているはずである。

  とすれば、器量の小さい人はついよくないことに走ってしまうのではないか。それが野球賭博だったのだろう。(横綱白鵬のように、手慰みに花札をやった人もいるが)この体質は、長い間続いた各界の風土のようなものだ。今回の問題を最初に取り上げたのは週刊誌だった。週刊誌以外の新聞・通信社、テレビの記者たちは力士たちと付き合いが深い。だから琴光喜や大獄親方の博打好きを知らないはずはない

  今回の問題の「構図」は、かつて政治の世界でもあった。ロッキード事件で逮捕された田中角栄氏の金脈問題を雑誌・文藝春秋で初めて追及したのは立花隆だった。その記事を読んだ新聞記者たちは「こんなことはみんな知っていた」と笑っていた。

  相撲記者たちも日常的に力士たちに接していて、賭博行為を告発することなんて、考えてもいなかったのではないか。週刊誌の報道がこれほどまでに拡大するとは当初予想しなかったのかもしれない。感覚が鈍くなっているのだ。

  力士たちは、社会とのかかわりが少ないのではないか。しかも、場所中以外はひまな時間がありすぎる。とすれば、今回謹慎処分になった親方、力士だけでなく今後は全力士が、ボランティア活動に目を向けてはどうかと思う。プロ野球やプロゴルフの選手が、金銭的なボランティア(日ハムのダルビッシュ有や女子ゴルフの横峯さくらたちだ)活動をしているが、力士たちは行動で示せばいい。

  米国のスポーツ選手は、ボランティア活動を普通にやっているという。それが、社会的に認知された自身の責任と思っているようだ。日本の相撲界が立ち直るには、そうした活動を通じて世の中のことを知り、自分たちの置かれた立場を再確認する必要があると思う。