小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

425 桜の花の季節に 宴の陰で

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いま、日本列島は桜前線が北上中だ。なぜかこの季節になると、心が浮き立つ。それは日本人に共通する特有の感情だ。この土日、近所の桜の名所を歩いた。多くの人たちが花を楽しみ、宴をやっている。

そうした平和な光景の陰でテレビは北朝鮮のロケット問題で大騒ぎをしている。まるでSF映画を見るような報道ぶりだった。

土曜日と日曜日の昼、テレビは臨時番組でこの問題を放送した。政府によるロケット発射確認の誤発表もあった。日本政府の危機管理部門(この誤発表の責任は防衛省だった)が右往左往していて、的確な情勢分析ができていない状況が世界に知られてしまった。

報道機関にも同じような誤報はよくある。だが、政府のこの失敗は影響が大きい。国民は不信感を抱き、国際社会はあきれているだろう。

日曜日。北朝鮮はロケットを発射した。人工衛星らしく、北朝鮮は「衛星打ち上げ成功」と発表した。しかし北米航空宇宙防衛司令部は何も軌道に乗っていないとしており、北朝鮮の国際世論を無視した発射は失敗に終わったようだ。

北朝鮮のロケット(ミサイルか人工衛星か)打ち上げの時間帯、桜が見事な遊歩道を歩いていたあと、郊外のショッピングセンターで買い物をしていた。電気店を通りかかると、店の展示用テレビには一斉にニュース速報が流れていた。緊張して原稿を読み上げるアナウンサーの顔がアップされる。

それを見る人々に緊張感はない。現実にそれが直ちに自分たちの危機につながるとは思っていないからだろうか。しかし、核弾頭つきのミサイルが日本に向けられたらという不安も頭をよぎる。

この時期に、北朝鮮がなぜロケット(人工衛星)を打ち上げたのかは分からない。いまの北朝鮮は国際社会に対立する異端の国家である。人工衛星だと主張しても国際社会は信用はしない。独裁国家として国際社会と距離を保つ姿勢が危険視されているのだ。

それにしても、政府とメディアの動きは、本で読んだ戦前の大本営発表のようなものだと感じたのは私だけだろうか。

「桜」という萩原朔太郎の詩がある。まるで今日の私の心を示していているようだ。

桜の下に人あまたつどひ居ぬ なにをして遊ぶならむ。

われも桜の木の下に立ちてみたれども わが心はつめたくして

花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ いとほしや

いま春の日のまひるどき あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。