小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1906 気になることを調べる楽しみ「紫陽花、曲師、風呂」について

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 新聞を広げると、このところ毎日暗いニュースが紙面を埋め尽くしている。世の中の動きを正確に伝えるのが使命だから、紙面が豪雨被害、コロナ禍を中心になるのは当然なことだ。そして、豪雨の被害者やコロナで亡くなった人たちを思うと、気持ちが落ち込んでしまう。少しでも気持ちを落ち着かせようと、本棚からたまたま並んでいた3冊の本を手に取った。「本を読む楽しみ」を味わおうと思ったからである。  

 まず初めに頁を開いた本は、中村幸弘『難読語の由来』(角川文庫ソフィア)だった。この中で、梅雨の季節を象徴する花「紫陽花」について中村の解説を読んだ。以下はその概略。 「この熟語訓(熟語に訓読みを当てたもの)は古くから見られる。『和名抄』(和名類聚抄、平安時代に作られた辞書)には、「紫陽花 白氏文集律詩に紫陽花と云う 阿豆佐為(あづさゐ)」とある。現代訳にすると、中国唐時代の白楽天の詩文集である『白氏文集』、の律詩の中に『紫陽花』とあり、その「紫陽花」に相当する日本語があづさゐだ、という意味だ。    

あじさい」(という平仮名)はもっと古く、上代の文献の中にもある。「あじさゐの八重咲くごとく彌(や)つ世をいまわが背子(せこ)見つつ偲(しの)はむ」(万葉集。紫陽花が八重に咲くように、幾重にも栄えておいでください、わが君よ、私はその立派さを仰いで讃嘆いたしましょう)である。  その本文には万葉仮名で「阿豆佐為」と書かれているが、解説には「味狭藍(あじさゐ)とある。「味」は褒める言葉で、「狭藍」は青い花の色を言ったという語源説が存在する。「紫陽花」を「あじさい」と読むのは、どの漢字をどう読むかというより、『白氏文集』にある漢字3字からなる一語が、四音節から成る一語の日本語に結び付いた。  

 要するに「紫陽花」という3つの漢字まとめて1つの漢字にみなすのでルビを振る場合、区切らずに書くのが正解といえる。  

 次に森岡浩『名字の謎』(新潮OH文庫)を手に取った。近所を散歩していたら「曲師」という表札が目に付いたことを思い出した。初めて見る名字だった。この本には名字の誕生の歴史、名前で分かるルーツ、日本の名家、姓名にまつわる不思議な話、全国の珍名などが載っていて、名字辞典ともいえる内容の本だ。

 しかし、残念なことに「曲師」については、この本のどこにも記されていなかった。仕方なくネットを検索してみると、「まげし」あるいは「まぎし」と読み、全国で90人程度この名前の人がいるそうだ。木を薄く削り、曲げて食器やその他の用具をつくる木工職人のことを言うほか、その居住地を曲師町(まげしちょう)と呼び、栃木県の県庁所在地・宇都宮市には現在も曲師町という地名が残っている。近所の曲師さんの名字の由来は不明である。  曲師は出ていないが、この本には珍姓の宝庫として富山県新湊(現在の射水市新湊地区)が紹介されている。

 港町として漁業に関係する姓として「魚」(うお)、「釣」(つり)のほか「海老」「魚倉」「波」「灘」があり、食べ物関係では「米」(こめ)のほか、「酢」「飴」「菓子」「糀」(こうじ)と多彩だ。さらにモノの名前をそのまま取った「桶」「水門」「風呂」「綿」「石灰」(いしばい)「鼎」(かなえ)「瓦」「壁」「地蔵」「籠」「飾」(かざり)があり、地形や動植物の姓として「山」「横丁」「四間丁」(しけんちょう)「牛」「鹿」「鵜」「松」「菊」「草」も使われている。このほかにも「音頭」「大工」「旅」「蒸」(むす)「折」(おり)「紺」もある。私が以前、話を聞いたことがある新湊出身の人は「作道」と書いて「つくりみち」という名字で、射水市(旧新湊市)作道という地名が由来のようだ。こちらは全国で1100人程度いるらしいから、「曲師」に比べるとポピュラーといえる。  

 3冊目は、筒井功『風呂と日本人』(文春新書)である。筒井はかつて共同通信社会部で記者活動をしており、私とは同僚だった。記者を42歳でやめ、その後はサンカなど非定住民の生態や民俗の調査と取材を続け、多数の著書がある。筒井を紹介するウイキペディアはやめた理由として「役人に取り入り、情報をもらう仕事が嫌で仕方なかった」と書かれている。東京高検検事長と産経、朝日の記者らによる賭け麻雀事件があったが、筒井が司法を担当した時代、検察幹部と司法記者との飲み会で傍若無人の検察幹部のひとりを柔道で投げ飛ばし(あるいは首を絞め)、ぎゃふんと言わせた豪傑記者がいたことを聴いた。  

 筒井の本は日本の風呂の歴史を詳述し、風呂にちなむ地名も出ていた。戦前の一時期、水戸市には風呂下という町名があったが、同じ茨城県では平成の合併前の久慈郡の町村に小字として風呂前、風呂、風呂下が使われていたことが記されている。今はその地名も消えてしまった。  

 日本人の風呂好き・温泉信仰について様々な説があるが、筒井は「きちんと説明することはむつかしい。よく蒸し暑くて汗をかくから、といわれるが、これは俗説にすぎない」としている。確かに他の国の人々と比較した調査は聞いたことがないから、よく分からないというのが正直な回答なのかもしれない。私が通っているスポーツクラブで、ジムやプールは利用せず、風呂に入ることだけを目的に通っている知人がいる。この人などは典型的な風呂好きなのだろう。彼に、スポーツクラブに通いながらなぜ運動しないのか、私は聞いたことはない。私は逆に「烏の行水」派であり、風呂好きな部類には入らない。  

写真はアオスジアゲハ(9歳の知り合いが撮影)    

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