小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1337 円環的な結末 ハッピーエンドの『サラバ!』

画像 西加奈子が長編小説『サラバ!』(第152回直木賞を受賞)を書くに当たって、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』やイアン・マキューアンの『贖罪』を意識したかどうかは分からない。しかし、上下に及ぶ長編を読み終えての感想をいえば、この作品は2つの海外作家の名作と同様「円環的な結末」ということになる。

  37歳の僕を語り部とした、僕の一家の物語は現代史の一こまを見ているようにも映る。さらに、西が目指したハッピーエンドの結末は、芥川賞を受賞した小野正嗣の「九年前の祈り」よりも、読後感は爽やかだった。

  円環的結末の代表作品である長編小説『失われた時を求めて』は、20世紀に発表された小説の最高峰に位置づけられる。この作品についてはおびただしい解説や解釈がある。

 それは割愛して円環的な結末に触れる。『失われた時を求めて』の最後は「自分の一生が、書きたかったあの本といつかふれあうときがくるはずだとも思われなかったし、以前は机に向かっても、その本の主題すら発見できない有様だった。こうしてこの日までの私の全生涯は、次のような標題で要約することが可能でもあれば、不可能でもあったろう。すなわち『天職』という標題である」(集英社、鈴木道彦訳)で結ばれている。

  もう一つの『贖罪』は「自分に要求されているものは分かっていた。それは単なる手紙ではなく、新しい原稿、贖罪の原稿であり、書き始める準備はできていた」(新潮文庫小山太一訳)が結びである。

  これまで読者が読んできたものは、実はこれなのだ。2つ、いや西の作品も入れれば3つの小説は最後にこのように作品の由来を示し、改めて違和感なく冒頭に戻ることができるような構造になっている。それが円環的技法なのである。

 『サラバ!』は、作者は女性だが、語り部は「僕」という男性だ。「僕」をめぐる登場人物は離婚する両親と引きこもりと宗教的信仰で時間を送る姉と親類、そして成長する僕を取り巻く友人たち、その中に「サラバ」が合言葉のエジプト時代の親友もいる。

  物語の舞台はイラン、エジプト、大阪、東京、ロサンゼルスと目まぐるしく、昭和から平成に至る「僕」の半生記は一気に読ませる内容だ。随所に作者である西の、女性としての目線が出てくるのに気が付いた。まだ読んでいない読者はそれを感じとってほしいと思う。

  一方、芥川賞をもらった『九年前の祈り』は、『サラバ』とは対照的に主人公は女性である。国際結婚が破たんし、発達障害の男の子を連れて故郷の大分に帰った女性を軸に9年前のカナダ旅行の思い出を交えながら話は進んでいく。この作品については、山田詠美の評が的確だと思った。

 「主人公と関わり合うすべての男たちが『男目線からのステレオタイプ』のように私には思える。その分、女たちの存在感はすごいが、その存在感が私には『作者のひいき目』のように感じられてしまうの」(文春3月号)

  この作品は、ハッピーエンドでもないし、円環的な結末でもない。母と子の未来は混沌としたままに終わっている。