小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

875 「どんな本を読み、どんな作品に救われたか」 震災後の本の読み方

画像東日本大震災は流れ去って消えていくものとは違う。この国の歴史に深々と打ち込まれた杭として、おそらく将来の長きにわたって、優れた文学作品を語る際の座標軸のひとつになりうるだろう。たとえば、僕はこんなことを考えるのだ。震災の直後にどんな本を読んだか―。どんな作品に救われたか―。(中略)ぼくの場合は、南木佳士さんだった》

 作家の重松清は、南木佳士の「草すべり」という作品の解説でこう書いている。 重松は、震災以来、半ば呆然としたまま、ひたすら報道を追いつづけ、インターネットに流れるさまざまな言説に翻弄されどおしの一カ月を過ごした。いい加減に疲れ、陰鬱なのに妙に高揚した思いを持て余しているときに、この本の解説を書かないかという誘いを受け南木の作品を読み返し、南木作品とともに震災後の日々を過ごしたのだという。

 重松は「とても幸せだった。生来おっちょこちょいの僕が浮き足立つのを抑えてくれた」と、筆を進めている。 重松と同様、不安定な精神状況で震災以降の日々送った人は少なくないのではないかと思う。現在進行形の人も多いはずだ。振り返ると、私自身もその例外ではなかった。

 重松の問いに答えるならば、あの惨状が頭からは消えず、日本の本はあまり手に取ることができなかった。その結果、私の場合は「翻訳本」を読み漁った。

 英国ユーモア小説の古典「ボートの三人男」(ジェローム・K・ジェローム著) 「ソロモンの指環」の著者で動物行動学という分野を開拓、ノーベ ル生理学医学賞を受賞したコンラート・ローレンツのエッセー集「人イヌにあう」(小原秀雄訳) 17言語・世界37カ国で翻訳出版されたカルロス・ルイ ス・サフォンの長編小説「風の影」(木村裕美訳、上下2冊) 「チャップリン自伝」(中野好夫訳) 英国の作家、ケン・フォレットの作品群=「大聖堂」(上中下3冊)、「大聖堂―果てしなき世界」(同)、「巨人たちの落日」(同)、「針の目」「鴉よ闇へ翔べ」―の計11冊。

 以下はフォレットの「大聖堂―果てしなき世界」についての感想を盛り込んだ文章。 「絶望を知ってこそ光がくる 魯迅和合亮一の言葉」 「阿Q正伝」で知られる中国の作家・魯迅は希望という題名の日記を書き、その中に「絶望が虚妄であ るのは、まさに希望と同じだ」という言葉を残している。

 どういう意味なのか。日記の前後の文脈などから「絶望を知らぬものには希望もない」と受け取ること ができるという。東日本大震災から3カ月半。絶望の底に落ち込んだ人たちに光が差して行くのだろうか。

 魯迅が生きた時代(1881年―1936年)の中国は閉塞的状況が続いており、その実感をこんな表現で日記に書いたようなのだ。一方、日本は昨今、「無縁 社会」と指摘され、孤独感、閉塞感が強い時代になっているといわれている。

 そんな矢先の大震災の発生だった。東電福島第一原発事故の地元、福島に住む第4 回中原中也賞(1999年)受賞者の詩人、和合亮一は、短文のコミュニケーションサイト・ツイッターで、放射能への恐怖、死者への鎮魂と被災者の絶望感を 悼むために「詩の礫」という詩を発信し続けている。

 福島県伊達市にある県立高校の国語教師をしている和合は、入試の判定会議の最中に3・11の地震に遭遇。数日間、避難所で暮らして福島市の自宅に戻ってか ら、ツイッターで詩の発信を始めたという。福島県の被災者7人にインタビューも試み、その人たちの心情も詩として表現した。これらは「詩の礫」(徳間書店 刊)「詩の邂逅」(朝日新聞社刊)「詩ノ黙礼」(新潮社刊)という詩集になった。

≪あなたは 愕然(がくぜん)とした/暗い街 真っ暗な 通り/この街には 違うものが 住んでいる と≫(詩の邂逅)。

 南相馬市のクリーニング業の女性の話を基にした詩のひとつだ。 今回の大震災では、子どもたちの多くが津波にのまれて、亡くなった。宮城県石巻市立大川小学校では児童108人中68人が死亡、6人が行方不明になった。 現在も行方不明のわが子を捜し続ける両親の姿をテレビの映像で見て、涙が流れた。

 亡くなった子供の頬についた泥が取れないといって母親が自分の舌で舐めて 取ってあげたという、つらく、悲しい報道もあった。そんな親の思いは次の和合の詩に共通するものだろう。

≪頬 眠る子のほっぺたをこっそりとなぞってみた≫ ≪美しく堅牢な街の瓦礫の下敷きになってたくさんの頬が消えてしまった≫

≪こんなことってあるのか比喩が死んでしまった≫ 

≪無数の父はそれでも暗喩を生き抜くしかないのか、厳しい頬で歩き出して≫(詩の礫)

 和合は、「詩ノ黙礼」に関する新潮社のインタビューの中で「今、第二の故郷の浜通りが危機に瀕している。東北地方全体が、放射能の降る福島が、変わらず危 険にさらされている。避難している人たちがいる状況の中で、生きていく力、どんな状況にいても生きていかなければならないという健康的な力を培っていくためには言葉の力が最も大事だと信じている」と述べている。

 さらに「詩人と同じように、言葉を扱う仕事が政治家だ。その政治家たちに国家よりも個人を大切にするという考え方がないと、この国は戦前となんら変わらない。日本の政治家は集団が優先で、ことなかれ主義で、本当の意味でも民主主義をはき違えている。個の言葉で人に訴えかけることのできる政治家がいないの は、言葉の衰退を招いていることと同義だ。政治家を信用できないから言葉の力も信用しない。こういう状況でどんな言葉をみんなが信用したかというとブログ やツイッターだった」と、危機的状況にあって、政争に明け暮れる政治家の姿を厳しく批判している。

 大震災後、好きな読書をすることができなかった人たちも多いだろう。私自身も心が重く、活字に集中できない時期が続いた。そんな折に、手に取った本が ウェールズ出身のケン・フォレットの「大聖堂―果てしなき世界」だった。

 世界で1500万部売れたといわれる「大聖堂」(1989年)の続編で、14世紀 前半の英国の都市を舞台にした歴史小説だ。王位継承、英仏百年戦争、ペストの流行といった史実を織り込みながら、男女4人の子供時代から始まるスケールの大きな長編(文庫本で上中下3冊)で、フォレットの世界にひき込まれた。

 終わりに近い部分でこんな文章がある。

≪この一人一人にそれぞれの人生があるのだ。どの人生も豊かで複雑で、過去には様々なドラマがあり、未来には夢がある。幸せな思い出もあれば、悲しい秘密もある。そこには数えきれないほどの味方が、敵が、そして愛する人がいる。≫ 

 大聖堂の尖塔から眼下に広がる光景を見た中心人物の思いをフォレットは、こう記した。戦争の世紀といわれた20世紀が去り、21世紀になったが、9・11 同時テロをはじめ、アフガン・イラク戦争、毎年のように起きる大地震で多くの命が失われた。日本も例外ではなく、それぞれの人生が政治や自然の脅威に翻弄 され続けている。それでも私たちは、和合が訴えるように言葉の力を信じながら、強く生きていかなければならない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   

 私は登山はしないが、浅間山を中心に登山と人生を描いた「草すべり」を読むと、人生の折り返しに入った男が山にのめり込む気持ちが痛いように分かるのだ。この本の主人公は、山では「寡黙に、控えめに、つつましやかな歩き方」をする。それは大震災に遭遇した、被災地の人たちの姿と重なる。

 追記 日本の本はあまり手に取らなかったと書いたが、全く読まなかったわけでない。吉村昭三陸海岸 大津波」、池波正太郎「青春忘れもの」、今泉恂之介「子規は何を葬ったのか―空白の俳句史百年」、井上ひさし「日本語教室」など、何冊かの印象深い本とも出会った。