小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1173 身体痛めて情け知る 空港での心温まる話 タイへの旅(1)

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 つい、先日タイを旅した。第2の都市といわれるチェンマイには奥さんとともに10年近くロングスティをしている友人がいる。この友人のことは後に触れることにして、今回は昔のことわざである「旅は道連れ 世は情け」(旅は心 世は情け、とも言う)を思い出させる出来事に遭遇したことを記したい。

 このことわざは「旅をするときに道連れがいると心強いように、世の中を渡っていくには人情を持ち、仲よくやっていくことが大切だ」という意味だ。昨今、隣国の中国、韓国とはことわざとは逆の関係にあるだけに、ささいな出来事が私にはうれしいことだった。

 6日間のタイ滞在を終えて、私は家族(妻と娘)とともに、帰国するため今月1日、バンコクスワンナプーム国際空港のタイ航空カウンターでチケットを受け取り、スーツケース3個を預けようとした。2つ目までは簡単にできたのだが、3つ目を2つ目の横に並べてくださいといわれ、左手で持ち上げた瞬間、左肩から「ボキン」という異音が聞こえ、痛みが走ったのだ。

 ふだんあまり使わない左手で20キロ以上のスーツケースを持ったものだから、肩がやられてしまったようだ。 家族が慌てて空港の医務室に連れて行ってくれたが、私は医者に見せるほどではないとやせ我慢して、医務室で教えてくれた薬局で塗り薬と張り薬を家族が買った。

 それを持って通路の隅に方に行き、空いていたイスに座わってシャツをずらして左肩に薬を塗ってもらった。隣にいた30代半ばと思われる男性がそんな私たちをじっと見ている。「父が肩を痛めた」という娘の説明を聞くと、彼はカバンから小さな瓶を取り出して「これを塗りなさい」と勧めてくれた。

 それは、東南アジアで売られているハッカ入りのYURIオイルのようなもので、薬局の塗り薬の上にさらに塗ってもらった。すると、患部はひんやりとしてきて、痛みは少し弱くなってきたような感じになった。

 この男性はインドネシア人で、私を手当てする妻と娘を見ていて、亡くなった父親を思い出したと話した。そして、別れ際にこれも2つ持っているからと「GPU」というアロマオイルを渡してくれた。家族が手荷物検査で通らないかもしれないというと、男性は「買った薬と一緒にジップロック(チャック付きポリ袋)に入れ、何か言われたら、肩の薬と説明したらいいよ」と教えてくれた。

 家族が、ではお礼にとチョコレートの箱を渡そうとしたが、男性は「いいよ、いいよ」と言ってなかなか受け取らない。強引に渡して男性と別れたが、彼はにこにこしながら手を振って私たちを見送ってくれた。 左手を肩からネッカチーフで吊って機内の6時間を過ごし、帰国後整形外科に行った。骨には異常がなく、筋肉と筋を痛めたという診断だった。

 まる1日、左手は上がらない状態が続き、痛みもひどかった。一晩寝ると、少しだけ動かすことができ、痛みもだいぶ治まった。インドネシアの男性からもらったアロマオイルはその後使っていないが、今回の旅の思い出として大事に保管しておきたいと思う。インドネシアで暮らしたことがある友人は、「インドネシア人は優しい」というが、では、同じ場面に日本人の私が遭遇したら、あの男性のように振る舞うことができただろうかと、考える。

 そういえば、7年前の2006年11月下旬、京都と奈良を旅し西ノ京といわれる奈良の西大寺から薬師寺まで歩いたことがある。そのとき道に迷い、自転車でやってきた老人に親切にされたことを思い出した。1回ならまだしも、2回もそれが続いた。感激した私は「西ノ京で受けた善意」と題して、この話をブログに書いた。日本でもこんな話はまだまだあるに違いない。 「師走旅身体傷めて情け知る」

 

ブログ 西ノ京で受けた善意

写真 1、チャオプラヤー川から見たワット・アルン(三島由紀夫暁の寺の題材になった) 2、バンコク市内を走るBTS(バンコクスカイトレイン・高架式鉄道)

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2回目に続く