小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1380 更地に咲くヒメヒオウギズイセン 厄介な帰化植物だが……

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近所で独り暮らしの高齢者男性が亡くなった。親類の人たちは残された一軒家を解体処分し、跡地はブルドーザーで整地され、更地になった。不動産業者が売りに出したその土地に、朱赤色の花が群生し咲いている。 図鑑で調べてみたら、ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙、クロコスミアあるいはモントブレチアとも呼ぶ)という帰化植物だった。カメラで撮影してみると、なかなか美しい。しかし、実は要注意の花なのだという。 アヤメ科の多年草で、明治期にヨーロッパから渡来した園芸種が野生化し、河川敷や土手など日本全国に広がった。地下茎で増えるのだが、繁殖力が強く、在来の植物を駆逐する恐れがあるとして、佐賀県では「環境の保全と創造に関する条例(平成14年佐賀県条例第48号)」第65条でキショウブなどともに「移入規制種」に指定、県内へ入ることを規制しているほどだ。 更地になった住宅跡になぜヒメヒオウギズイセンが群生したのだろう。たぶん亡くなった男性が庭にこの花を植えたはずだ。ブルが入って整地されても地下茎が残っていて、時間の経過とともに強い繁殖力を発揮し、わが世の春のように一斉に開花したようだ。 故郷の廃家という懐かしい曲がある。米国の、ウィリアム・シェークスピア・ヘイズが1871年に作った曲で、犬童球溪による訳詞の一番は「幾年(いくとせ)ふるさと 来てみれば 咲く花 鳴く鳥 そよぐ風 門辺(かどべ)の小川の ささやきも なれにし昔に 変わらねど あれたる 我家(わがいえ)に 住む人 絶えてなく」となっている。 「久しぶりに故郷に行くと、咲いている花もなく鳥もそよぐ風も、小川のせせらぎも昔と変わっていない。だが、荒れてしまったわが家には住む人はいない」という意味だろう。では、咲いている花はどんな種類なのだろう。原詞には「白木蓮」とあるそうだが、私は近所の更地に咲くヒメヒオウギズイセンを見て、なぜかこの曲を思い浮かべたのだ。 梅雨の晴れ間、猛暑の中で朱赤色の花はややうつむき加減に控えめに咲いている。一見可憐に見えながら、実は生命力が強い花。花言葉は「楽しい思い出」「謙譲の美」だという。 可憐なりモントブレチア強き花 関連ブログ トンネルを抜けると別の世界 金沢文庫・称名寺は黄菖蒲の季節 小さな劇にすぎなくとも 琵琶湖近くの「故郷の廃家」の物語 「人は生き、愛し、苦しみ、亡くなる」 美しい横綱・大鵬との別れ 美しい故郷を思う歌 吉丸一昌の詞の心 故郷の原風景とは 盲目の詩人の静かな問いかけ 故郷はおまえの心の中にある ヘッセ「庭仕事の愉しみ」 岩手にて ふるさとへの思い