小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1370 映画『おかあさんの木』 忘れてはならない戦争の不条理

画像 ことしは戦後70年。あの戦争は遠い存在になったのだろうか。決して、そうとはいえない。国会では集団的自衛権の限定的行使を容認する安保法制が審議中であり、政権は憲法学者が口をそろえて「違憲」だと断じたことに耳を貸そうとしない、頑なな姿勢をとっている。世の中がおかしな雰囲気になっている。

 映画『おかあさんの木』を見た。夫を早くに心臓発作で亡くした母親(鈴木京香)が、懸命に育てた息子たち(1人は姉の家に養子になる)全員を戦争に取られる。母親は息子たちが出征の度に桐の木を植えてその無事を祈るのだが、6人は戦死してしまう。一時行方不明だった5男が唯ひとり引き揚げてきたときには、母親は桐の木の根元で倒れ、帰らぬ人になっていた―という悲しい物語である。

 長野県出身の児童文学者・大川悦生(1930~1998)の原作(ポプラ社刊)を映画化したもので、原作は1977年から小学校の教科書にも使われた。

 民間人を含め第二次大戦の世界の犠牲者は5000万~8000万人といわれ、8500万人という説もある。日本では、 日中戦争から太平洋戦争に至る長い戦争で310万人が命を落としている。

 戦争は多大な犠牲を伴い、その傷は容易に癒えないのだ。 映画の象徴的場面がある。5男が出征する際、当初は駅に見送りに行かないと言っていた母親が泣きながら駆けつけ、息子の両足をつかんで汽車に乗るのを阻もうとするのだ。

 それに気付いた憲兵が母親を足蹴にして息子と引きはがして、「非国民だ」として母親を連行し取り調べる場面だ。70数年前はそういう時代であり、戦争に反対する人々は容赦なく非国民のレッテルを張られた。

 神坂次郎の『今日われ生きてあり』(新潮文庫)という、特攻で命を散らした若者たちとその家族を描いた記録文学をかつて読んだ。その中にも兄弟4人のうち3人が戦死、1人が米軍の攻撃で沈没した貨客船・阿波丸で殉職した埼玉県浦和市の母親のことが記されている(第10話 雲ながれゆく)。

 戦争中この家は浦和の誇りと言われたのに、4人の息子を失った母親は戦後、一転して世間の罵倒、雑言を浴びせられ、外出ができなくなる。しかも追い打ちをかけるように軍人恩給が廃止になり、家屋敷を手放した母親は長い入院生活の末亡くなる。息を引き取る間際、母親はいままで胸の奥にためていた思いを一気に吐き出すように激しく吐血したという。

 7人の息子と引きはがされ、再会できないまま桐の木の下で倒れた映画の母親と、浦和の母親が私には重なって見える。2008年に吉永小百合主演で「母べい」という映画が上映された。今度の映画と同じ時代に生きた一家の物語だった。戦争の不条理を伝えるという同じテーマを持っていた。

 長野県立図書館によると、原作者の大川悦生は1930 年に同県埴科郡坂城町で生まれた。幼い時代は東京で送り、戦時中には疎開で坂城に戻り、1945 年県立上田中学校 3 年の時に海軍予科兵学校に出願、広島・江田島に行く直前に敗戦を迎える。

 成長期にこうした動乱の時代を送った大川は、大人を信じることができなくなり、これをきっかけに民衆の伝承文芸(民話)や戦争・原爆の体験を伝える仕事をすることを決意したのだという。彼の著作には動物や木を題材にしたものが多かったという。

「今日われ生きてあり」 特攻は統率の外道

母(かあ)べい 懸命に生きた一家の物語