小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1028 除染作業の公園で 寒露の季節に

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 二十四節季の「寒露」(ことしは10月8日)が過ぎ、朝夕の散歩にはシャツの上に薄いジャンパーを羽織らないと肌寒さを感じるようになった。宮城の被災地に入る前に福島県郡山市に行った。風が冷たく、市内を歩いていると背中がつい丸くなる。

 午前10時過ぎ、市役所近くにある開成山公園に行く。原発事故がここでも尾を引いていることを思い知らされた。「除染を実施しました」という10月1日付の市の看板が立っていたからだ。 

 看板には「除染を実施しました。除染前:2・70usv/時 除染後0・55usv/時 平成24年10月1日(高さ1メートル)計測 (開拓者の群像前) 郡山市」とあった。

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 開拓者の群像は、1992年10月、郡山の開拓を記念して建立したものだ。郡山市出身の芸術院会員の彫刻家、三坂耿一郎(みさかこういちろう1908-1995)作である。郡山はかつて奥州路の小さな宿場町だった。

 明治時代に開拓事業が行われ、猪苗代湖の水をひいた安積疎水が豊かな穀倉地帯をもたらし、郡山の発展の原動力となったのだという。

 公園を歩くのは、シニア世代の人たちだけだった。一角にあるバラ園はまだ花が残っていて、散歩の人たちが花に見入っている。しかし、若い人はいない。バラ園を出て再び公園内を歩くが、人影は少なく、しかも出会うのは高齢者ばかりだ。

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 除染が必要なくらい放射線量が高いとすれば、小さな子どもを持った母親は、行きたくとも行けないのかもしれない。公園ではまだ除染作業が行われており、ブルーのシートで覆われた山盛りの土が残されていた。

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「日本の七十二候」(白井明大著)によると、寒露は、露が冷たく感じられてくるころのことを言い、空気が澄み、夜空にはさえざえと月が明るむ季節を指す。「秋の日は釣瓶落とし」というように、今の季節はこれから日が傾いてきたなと思う矢先に、空が茜色に染まり、日が沈んでしまうのだ。

 夕暮れが物悲しくなる時期でもある。 開成山公園の開拓者の群像も、月明りや星が輝く中、放射性物質が消え去ることを祈り続けているに違いない。