小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1955 2020年の読書から 2人の女性作家の伝記小説

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 日本の新刊本は、年間約7万2000部(20019年、出版指標年報)発行されている。多くの本は書店に並んでも注目されずに、いつの間にか消えて行く運命にある。新聞の書評欄を見ても、興味をそそられる本はあまりない。というより、慌てて買わなくともいずれ近いうちに文庫本として再発行されるから、このところ新刊本はほとんど買わない。そんな読書生活。例外的に今年は2人の女性作家の新刊長編を読んだ。乃南アサの『チーム・オベリベリ』(講談社・667頁)と、村山由香の『風よあらしよ』(集英社・651頁)の2冊。前者は北海道十勝地方開拓の困難な始まりの歴史、後者は関東大震災直後に無政府主義者大杉栄とともに憲兵大尉、甘粕正彦らに殺された内縁の妻伊藤野枝の骨太の生涯を描いた、評伝的要素が味わえる作品だ。以下は、2冊の独断と偏見の読後感です。

 1、『チーム・オベリベリ』

 1990年代と2000年代の2回、合わせて札幌で3年半暮らしたことがある。大通公園には開拓紀念碑や北海道開拓長官だった黒田清隆のブロンズ像があり、この公園を歩く度に北海道開拓の歴史に思いを馳せた。十勝地方の中心である帯広にも何回か足を延ばした。帯広はアイヌ語で「オベリベリ」と呼ばれ、明治16年依田勉三、渡辺勝、鈴木銃太郎の3人が十勝開拓のために「晩成社」を立ち上げ、同志を集めて初めて入植した地区だ。この本は渡辺勝と結婚したカネ(鈴木の妹)の視点で、入植から7年に及ぶ開拓者たちの苦闘の日々を克明に記している。

  カネは横浜の女学校を卒業した、当時としては先端を走る女性。夫の勝とともに入植し、掘っ立て小屋に住みながら開拓に挑み、農作業に明け暮れる。子どもも生まれ、豚を育て、近隣のアイヌたちとも交流し、さらに入植者の子どもたちに勉強を教える。バッタの大群に畑の野菜は食べ尽くされ、大雨で川が氾濫する。そんな日々でもカネは負けない。キリスト教の信仰が支えになり、子どもたちに教えるのも生きがいだ。アイヌの人たちはカネにとって、大事な隣人だ。

  晩成社の中心、依田勉三は、その生涯が映画にもなり、帯広開拓の恩人として名を残した。しかし収穫が少なくても容赦なく入植者に貸付金の返済を迫るなど、融通が利かない頑固な性格もあって渡辺、鈴木との仲は次第に悪化。2人は依田とは袂を分かつ。開拓の道のりは長く険しいのだ。

  だが、こうした先駆者の存在があったからこそ、今の帯広があると言える。それを象徴するのが作中にある「私たちの代が、捨て石になるつもりでやっていかなければこの土地は、私たちを容易に受け入れてはくれない」というカネの言葉ではないだろうか。北海道の名菓になった帯広・六花亭の「マルセイバターサンド」は、晩成社が初めてバターを商品化した際の商品名「マルセイ」(〇の中に成が入っているという意味)を記念して名付けられたという。この菓子を食べる機会があれば、帯広の歴史を味わってほしいと思ったりする。

  2、『風よあらしよ』

 大杉栄伊藤野枝、大杉の甥で小学生の橘宗一に対する虐殺については、佐野真一のノンフィクション『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮文庫)に詳しい。村山のこの本は伊藤野枝の生涯を軸に、野枝を取り巻く人々を活写している。一緒に甘粕らの犠牲になる大杉はじめ、高等女学校時代の英語教師で野枝の最初の夫の辻潤、野枝を婦人解放運動の青鞜社に入れる平塚らいてう、自由恋愛を公言する大杉の最初の相手保子、野枝とともに四角関係になり、日陰茶屋で大杉を刺す神近市子、大杉に大金を渡す政治家の後藤新平、そして甘粕……。

  乃南作品は何冊か読んでいる。しかし、村山の小説はこれまで1冊も読んだことがない。2人とも直木賞を受賞した作家で、たまたま2つの作品は別々の文芸誌にほぼ同じ時期に2年弱にわたって連載され、ことしになって単行本として発売になった。頁数もほぼ同じで、実在の人々を扱っているのも共通している。巻末の参考資料からみても、史実に沿った内容といえる。

  大杉事件当時、社会活動家に対する官憲の取り締まりは厳しかった。大逆事件で大杉の同志の幸徳秋水らが死刑になり、大杉に対しては常に尾行が付いていた。そして、関東大震災の発生……。特高は甘粕を使って大杉と野枝、甥の宗一まで拘束して虐殺する。重くて、暗い背景があるという先入観から、なかなか読み始めることができなかった。だが、それは杞憂だった。野枝のどこまでも真っ直ぐな強直ともいえる生き方と、大杉の人間性の大きさがひしひしと伝わってきたからだ。それだけに、100年近く前の事件とはいえ、幼い宗一を巻き込み、この偉大な才能を消すために特高を動かした権力側の罪の大きさを感じる。

  この本には、野枝の印象的言葉がちりばめられている。福岡(糸島郡今宿村=現在の)に里帰りした野枝は母親に「かかしゃん、うちは……うちらはね。どうせ、畳の上では死なれんとよ」と言う。人には、そんな直感が備わっている。

  分厚い本を読み終えて、知人が送ってくれたこの作品に関する読書ノートを読み直した。「まとめ」で知人は以下のように書いている。「文章の表現は平易」という指摘に私は、その通りと頷いた。

 《2人の貧乏を苦にしない生活力。借金上手とそれをさっぱり返さなくとも憎まない親族や支援者。何人もの子を作る純真さと飽くことを知らない双方の性的欲望。そのことですべてを忘れさせ新しい活力を得ることになる赤裸々な性愛。村山の筆致は的確にそれらを描く。吃音の大杉としばしば九州訛りが混じる野枝との会話の数々も、読む者にはさもありなんと納得させるに十分だ。文章での表現は敢えて秀逸さを目指さず自然で平易だが、それぞれの登場人物に関する心理描写は実に的確でこれも読者を惹きつけて引っ張って行く原動力となっている。直木賞作家たるに納得である。

 ともあれ、関係人物の一人一人につき詳細に事実を調べうる限り調べ、人物像を固め、小説に登場させているのが本作を<作りもの>ではなく、むしろ<ドキュメント>と見まがうほどに昇華させた因と言ってよいだろう。

 評伝とは普通事実の探求と実証を以て綴られる。しかし、このように作家が当時の關係者の人物像に迫れるだけ迫り、作中で行動させ語らせることで、事実の羅列とは違った生きた人物が浮き上がり、より真実に近づけさせてくれる。これは、まさに本格評伝の醍醐味を示しつつ読者を掴み、あの事件を深く再考させてくれる作品に違いない。》

 追記 かつて中国取材の旅で、甘粕が理事長を務めた長春満州映画協会(満映)を引き継いだ中国の長春映画撮影所を訪れたことがある。ここでは、李香蘭といわれた山口淑子も女優として活動したことで知られる。佐野真一の『甘粕正彦 乱心の曠野』によると、甘粕は名理事長だったという。だが、終戦の日に、理事長室で服毒自殺を遂げた。なぜかは分からない。佐野はこの本で、大杉事件甘粕犯行説に疑問を呈した。しかし、大杉と野枝、宗一の3人が憲兵隊に虐殺された事実に変わりはない。3人が殺されたのは1923年9月16日。97年前のことだ。

 伊藤野枝の伝記小説として、瀬戸内寂聴(晴美)の出世作『美は乱調にあり――伊藤野枝大杉栄』 (岩波現代文庫)が知られている。村山作品は瀬戸内作品と肩を並べる、村山の代表作となるだろう。