小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

812 福島原発大事故の悲劇を予言 広瀬隆の「原子炉時限爆弾」

画像原発の大事故は起こり得る。大事故が起これば日本はほぼ壊滅する。その可能性が最も高く、こわい原因として大地震が考えられる」―。昨2010年8月に出版された「原子炉時限爆弾」という本で、広瀬隆は、今回の東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発事故を予言するような指摘をしていた。

 菅首相は深刻な福島原発の状況を受けて、静岡県中部電力浜岡原発の全面停止を要請、中電も受け入れた。さらに菅首相は、電力に対する原発依存度(2030年までに全電力の50%)を高めるという政策に関して「白紙に戻して議論する」と発表した。電気供給問題に無知だった私を含めた多くの国民は、後世にはかりしれない「負の遺産」を残してしまったようだ。

 この本で、広瀬は原発による震災について触れたあと、東海大地震浜岡原発の関連を詳しく書き、浜岡の危険性を訴えている。さらに地震のメカニズム、日本に原発が林立する事情を紹介し、メディアではほとんど触れられていない放射性廃棄物高速増殖炉プルサーマル問題について書いている。

 原発問題に対する楽観主義者には、耳の痛い話の連続であろう。しかし、収束の見通しが立たない福島原発事故は、楽観主義が間違いであったことを証明した。 広瀬は「電力会社へのあとがき」の中で、「本書を読まれた読者は、私が内心で原発震災を信じたくないと同じように、日本が破滅するという現実を、にわかには信じられないはずである。

 しかし、地震研究所員だった寺田寅彦が<天災は忘れたころにやってくる>と言い残した警句の<忘れたころ>に、私たちはいるのだ。起こってしまってからでは、取り返しがつかない。私たちには、原発事故に関して、いかなる日々の生業の口実があっても、後悔があってはならない」と訴えている。 不幸にして、広瀬の予言は当たってしまった。

 浜岡と福島の違いはあるにしても福島原発事故は、取り返しがつかないほど、福島県の人々を苦しめ、その解決の見通しは立たない。そんな状況で東海大地震の一番危険な地帯にある浜岡原発事故が続いたら、文字通り日本は破滅への道を歩むだろう。その意味では、今回の全面停止は妥当な選択だ。

 それにしても、原発の使用済み核燃料の保管はどうするのかと思う。原発サイトでの使用済み核燃料の保管可能年数はどこも10年を切っているというのだ。今回の東電福島原発でも、この使用済み核燃料を保管しているプールへの放水というニュースも出ていた。 こうした核燃料の廃棄物を処理する(ウランとプルトニウムを取り出す)目的で設立した青森県の六カ所の再処理工場は、試運転という名目でテストを続け、スタートの見通しは立たず、既に2兆以上の巨額がつぎ込まれているのである。

 作家の池澤夏樹は「イデオロギーを捨てよう」(10日付朝日夕刊)というエッセーで「原発の安全は現実の裏付けを欠く思想、つまりイデオロギーだった。起こってほしくないことは起こらないと信じ込み、力を持って反対派を弾圧し、数々の予兆を無視し、現場からの不安の声を聞き流した。だから緊急時に速やかに対応できる人材が中枢にいなかった」と、今回の福島原発事故の構図を指摘している。

 繰り返すが、本書を読んで原発に対し楽観主義は禁物であることを再確認した。フクシマの悲劇は繰り返してはならないのである。