小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

878 流言飛語と風評被害 原発事故をめぐって

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 また寺田寅彦のことに触れるが、「流言蜚語」(現在の表記は流言飛語)というエッセーがある。 いまから73年前の大正13年(1924)9月、東京日日新聞に掲載された問題提起である。

 前年の1923年(大正12年)9月1日の関東大震災後「朝鮮人・中国人が放火したうえ井戸へ毒を投げ入れ、暴動を起こしている」という根拠のない理由で、多くの在日朝鮮人や中国人、社会主義者が当時の軍隊・警察・自警団によって殺された。

 寺田はこの事件を念頭に、エッセーで「流言飛語に惑わされるのは生きた科学的常識が欠乏しているからだ」という趣旨のことを書いている。 流言飛語と似た言葉で、ことし使われているのが「風評被害」である。

 風評を辞書で調べると「世間の評判、取りざた」(岩波国語辞典)、「世間であれこれ取りざたすること。また、その内容」(大辞泉)―とある。それによる被害が風評被害で、東京電力福島原発の事故をめぐってこの言葉が使われたし、いまも使われている。

 農産物や水産物という直接消費するものや観光産業など、風評被害は幅広い分野に及んだ。新米の時期になったが、東京では福島産の米を扱う店が例年よりかなり減ったそうだ。福島県が安全宣言を出したが、消費者は信用せず買ってくれないからというのが理由だという。

 それをおかしいと批判するのは簡単だが、原発問題では事故の後、長期にわたって政府、東電が信頼性に欠けた発表を続け、マスコミもそれを鵜呑みにして報道したため国民は何を信じていいのか分からないままに混乱した。そのために、たとえば農産物に関して政府、自治体の「問題なし」という発表に疑問を持つ人が少なくないようだ。

 こうしたことを背景に風評被害が拡大したといっていい。 流言飛語や風評には科学的な根拠はない。しかし科学的な知識が豊かな人はそういないから、そうしたうわさに惑わされてしまうのだろう。まして、原発事故はだれもが不安になる重大事だ。

 そのために原発とは遠く離れた鳥取のナシさえ風評被害を受けたというのだから、この問題は深刻だ。原発事故の風評被害で価格が下落した福島県産のナシが関西市場に大量に流入したため、鳥取県産のナシも対抗して値下げせざるを得なくなり、昨年よりもキロ当たり3割も価格が下落、鳥取県とJAが東電に損害賠償を求める方向で動き出したのだという。

 インターネットの「はてなキーワード」で風評被害を引くと、次のように出ている。 《災害、事故、虚偽の報道や根拠のないうわさ話などによって、本来は直接関係のない他の人達までが損害を受けること。というのは建前で、この言葉が使われるとき、実際は根拠のある被害をごまかし、被害者への同情を無知な人たちから集めている場合が多い。因果関係を考えるのに疲れた人たちが使う便利な言葉》

 原発事故をめぐる風評被害を考えるうえで、気になる解説である。 (写真は、風評被害とは無関係です)