小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

941 もう1度ゆきたい場所 大震災から1年

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 詩人の長田弘さんは「もう一度ゆきたい場所」という文章(詩文集=詩的エッセー・人生の特別な一瞬)を書いている。その文章の冒頭で「かなわないと知っている。けれども、もう一度ゆきたい場所は、もう二度とゆくことのできない場所だ」と記し、続いてその場所は自分が学んだ学校であると、学校に対するさまざまな思いを書いている。

「学校ほど故郷のイメージを叶える場所は、たぶんない」という長田さんの思いに共感を覚える。東日本大震災から一年。被災地の多くの学校も、特別な場所になった。 学校は津波から逃れた住民たちの避難場所になった。着の身着のままの被災者たちは、学校の体育館などで肩を寄せ合い、忘れることができないつらい時間を送った。

 そこでは、子どもたちが健気に食事や掃除やその他、さまざまな仕事を手伝った。宮城県女川町の女川第1小学校では、被災者の一人の橋本雅生君という自閉症の中学2年生がピアノをひいて、被災者の心を癒したことがニュースになった。

 そのほかこんな話もあった。岩手県山田町の避難所では10人の小学生がお年寄りたちのために肩もみ隊をつくり、仙台の避難所ではプールの水を汲んでトイレの掃除をし 支援物資にプラカードを張り、配付を手伝った。

 茨城県では暴走族の少年たちが暴走をやめて避難所の荷物運びを買って出た。宮城県気仙沼では子どもたちが避難所で「ファイト新聞」を発行した。 もちろんこれだけはない。多くの学校の避難所で子どもたちが活躍し、疲れ切った大人たちを慰めたに違いない。

 一方、原発事故で故郷を離れなければならなかった福島の子どもたちには、学校は遠い存在になりつつある。 長田さんの文章。

≪いまでも、そのときその学校でおなじく季節を親しく共にした一人一人の顔を、鮮明に、少年たち、少女たちの表情そのままに覚えている。 学校ほど故郷のイメージを叶える場所は、たぶんないのだ。しかし、どの学校も、いまはただ、記憶の中にしかなくなってしまった。≫

 長田さんは福島出身だ。長田さんの後輩たちの多くが故郷の学校を離れ、懐かしい校舎には戻ることができないまま、卒業の3月を迎えた。そこは、もう一度ゆきたい場所なのに…。