小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

903 人間関係の輪を広げ、最悪の事態を想定 海外暮らしの秘訣とは

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 タイのチェンマイでロングステイしている知人から「チェンマイ・フーケオ通り」というタイトルのエッセー集が送られてきた。「知人が住んでいるファイケオ通りからとった「風景夫」というペンネームでチェンマイタウン紙『ちゃーお』にロングステイ初心者の心境を連載(2006年3月から1年間、隔週ペースで24回)したものだ。 

 海外での暮らしぶりを克明につづったエッセーの中には「人間関係の輪と視野を広げることが大事」「いざという場合に備えて最悪の事態を想定しておくこと」といった、含蓄に富んだ内容が少なくない。

 これら海外暮らしの基本ともいえる考え方は、3・11大震災を経験したあとだけに、日本で暮らす私たちにも当てはまることだということを痛感する。

「語学のススメ」というエッセーの中で、知人はチェンマイに移り住んで約1年後、英会話を習い始めたことを記している。チェンマイには日本人以外に欧米人がかなり住んでいて、英会話を教えている。そのためか、街では簡単な英語が日本よりも通じるのだという。

 しかし英語もタイ語もできない日本人は同じ日本人からだまされやすいそうだ。知人はもちろんタイ語も勉強しているのだが、「交友関係が狭い人ほど(詐欺などの)ターゲットにされやすいようだ」と紹介し、「だとすれば、英語でもタイ語でも日本語以外の言葉を勉強し、人間関係の輪と視野を広げることが、悪質な日本人からカモにされない決め手になるだろう」と書いている。

「最悪の事態」に関しては、「危機管理の厳しい現実」というエッセーで触れている。ビザ更新のために知人は、ミャンマーとの国境の街、メーサイに往復9時間のバスを使って出掛けた。メーサイと川を挟んでミャンマー側のタチレクという街があり、知人はメーサイに着いた後、橋を渡りミャンマー側にも入った。

 そこで売っているものは信じられないほど安く、150バーツのジャンパーや120バーツの毛布、120バーツのセリーヌ・ディオンの2枚組のCDなどを買った。(ちなみに27日のタイの1バーツのレートは2・47円だから、いかにミャンマーの物価が安いか見当がつく) この帰途、バスは3回の検問を受け、自動小銃を抱え、迷彩服を着た兵士が残りこんできてタイ人乗客に身分証明書の提示を求めた。

 ミャンマーからの不法入国、麻薬の持ち込みを取り締まるためだという。知人は「島国で育っているので、陸路を越えての不法入国といってもピンとこないが、このときばかりは危機管理の厳しい現実を肌で感じた」と記し、「チェンマイでのんびり暮らす日本人にとっても考えておくべきがある」と危機管理について考えたのだ。

ミャンマーの軍事政権が国際的に孤立感を深めて暴走し、成り行きで国境を越えてタイ領まで攻め込んでこないか、タイ南部やバンコクで起きた爆発事件がチェンマイ周辺まで拡大しないとは言い切れない」(注:最近のミャンマー情勢は、2014年のASEAN議長国就任、民主化運動指導者アウンサンスーチーさんの政治活動再開など、軍事政権が国際的孤立から協調へと路線転換したと思われ動きが続いている)などの 点を挙げ、「いざという場合のために最悪の事態は想定しておくしかない」と知人は思うのだ。チェンマイとかかわりが深い梅林正直・三重大名誉教授からは「よその国で住む以上、いつでも逃げ出せる手順だけは頭に入れておきなさい」と言われており、海外で暮らす人たちの「危機管理の大事さ」をいつも考えているというのだ。

 知人のチェンマイでの暮らしは、もう7年になる。エッセーは、言葉(タイ語、英語)の勉強、自転車での街歩き、チェンマイ大学構内でのジョギングやマラソン大会への参加、スポーツジムやヨガ通い、日タイ友好の囲碁大会、母と娘で営むおいしい食堂の話、現地の人や外国人との交流―と知人を取り巻く人たちとの交流と日々の動きを記しており、海外暮らしのスタンスが鮮明に浮かび上がってきて、興味深かった。

 知人に「いつでも逃げ出せる手順だけは頭に入れておきなさい」と忠告した梅林三重大名誉教授に関しては「チェンマイでの戦没者慰霊祭」というエッセーで触れている。 1年の半分をチェンマイで、残りの半分を日本で過ごすという梅林さんは、自腹でタイ北部の山岳民族村にあったケシ畑を梅やマナオの林に変えるための植樹と梅酒づくりの支援に取り組んでいるのだという。

 そして、8月15日には武道館の式典に合わせてチェンマイのムーンサン寺院で戦没者慰霊祭を独自に行っている。第二次大戦末期のインパール作戦で壊滅状態になった日本兵ビルマとタイ国境地帯に逃れ、山岳民族や寺にかくまわれたあと、メーホンソンからチェンマイへと敗走する途中で多くが亡くなったのだ。

知人によると、梅林さんは日本が起こした戦争に対する償い、贖罪の気持ちから、タイでの支援活動に取り組んでいるのだという。知人はそんな梅林さんと竹山道雄の「ビルマの竪琴」の水島上等兵(亡くなった日本兵を葬るため故国を捨て、ビルマに残る)の姿が重なって見えると書いている。

 梅林さんは「ボランティアは遊びです」といい、モットーは「夢と遊び」(あ:遊び心、そ:創造、び:美と美味」だそうだ。

 エッセーを読んで私は、人生は前向きに生きることが大事であり、好奇心旺盛な人ほど海外での暮らしはうまくいくということを教えられた気がした。

(写真は、ブータン国王夫妻が最近訪日、話題になったが、国王が皇太子時代にチェンマイで開かれた世界花博を訪問した際、知人の奥さんが撮影した)