小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

877 ことしもセイタカアワダチソウの季節に 元気失った散歩コースの花

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毎年、この時期になると「セイタカアワダチソウ」のことを書いている。 手元の「散歩で出会う花」(久保田修著)によれば、「北アメリカ原産。荒れ地、川辺などで見られる。頭花は3ミリ以下と小さいが、花序は大きく、茎上部につく。葉は披針形で表面は加賀ありざらつくが、よく似たオオアワダチソウはざらつかない。以前は大群落となり繁茂したが、最近は減少している」と書かれてある。 このブログを始めて5年が経過した。振り返ってみると、毎年必ずこの花(雑草)について触れている。毎朝の犬の散歩コースである調整池の周辺に以前はかなり繁殖していたので、秋の話題に取り上げているのだ。06年10月16日「セイタカアワダチソウ考」から07年は10月23日「秋のお花畑」08年10月4日「秋を知る」、09年10月10日「自然界の勢力地図」、10年11月2日「遅い秋」まで一つの花について我ながら続けて観察したものだと思う。 画像それだけ、目立つということなのだろうか。しかし、今年の花は何となくいつもの年に比べると元気がない。ススキとの生存競争は完全にあきらめたかのようで、ススキの周辺にからこの花は撤退してしまったし、群生している花も勢いが感じされないのだ。久保田の本にあるように調整池だけでなく、私が住む地域周辺の道端からこの花は間違いなく減少している。それは自然界の栄枯盛衰を示しているようだ。 ところで、この花の天敵といわれているススキの花穂がついた茎を手当たり次第に折っている人を見かけたことがある。犬の散歩をしながらススキを見かけると、手を伸ばしているのだ。それが一度だけでなく毎日のように何度も繰り返しているのだ。 ススキに嫌な思い出があるのか、ストレス解消のためか、単なる暇つぶしなのか、その理由は分からない。私も家族もそれを目撃して首をひねっている。セイタカアワダチソウにとっては味方の人である。世の中には、いろいろな人がいるものだと思う。