小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

861 フィヨルド幻想 北欧じゃがいも紀行・6

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 ノルウェーのハダンゲル・フィヨルド地区のウルヴィックのホテルに泊まった翌朝、ホテルの周辺を散歩した。すると、目の前に幻想的な光景が出現したのだ。それは、透明なフィヨルドを覆っていた霧のいたずらだった。  

 旅の楽しみの一つに、乗り物から流れる景色を見ることがある。旅の場合、通勤通学と違って、繰り返し同じ景色を見ることはない。次々に新しい発見ができるという醍醐味があるのだ。北欧にはフィヨルドがかなりあり、バスや列車の窓から、さらにクルーズ船からその雄大な景色を見続けた。  

 時間があれば朝の散歩もやってみたい。その結果、私の場合、霧のいたずらによるこんな光景に出くわすことができたのだ。何と表現すればいいか考えて「フィヨルド幻想」と名付けた。

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 間もなく護岸の霧は晴れてきた。フィヨルドには透明感が広がり、小さな舟の朱色が鮮やかさが目に飛び込んできた。人影はなく、初秋の静寂さがフィヨルドを覆い尽くしている。ボートの持ち主は、もう起き出してコーヒーを飲んでいるのだろうかと、ふと思った。  

 ストックホルムの散歩では、家の庭に植えられたリンゴの木がたわわに実をつけているのを見た。みんな小さなリンゴで、日本の品種とは違うようだ。前回のブログに書いた作家の佐伯一麦のノルゲの中にもリンゴの話が出てくる。

「散歩の途中、小径と住宅の境の塀際にあるリンゴの木から赤い実が落ちていた。黙ってもぎ取るのは盗んだことになるが、塀の下から手を差し入れて、落ちた実を撮るぐらいはいいだろうと、言い訳してリンゴを拾い、汚れをよくふいてがぶりとかじると、酸っぱくて顔を顰めた。食べ続けていると、近ごろの日本では珍しくなったリンゴ本来の酸味の強い味に出会ったことに、思わぬ拾いものをしたような気分になった」

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 こんな話である。私も実は佐伯と同じ気持ちになったが、同行した家族に止められて、リンゴの実を拾ったり、枝に手をのばしたりするのはやめた。  

 さて、「じゃがいも紀行」と題しながら、ジャガイモについてはほとんど触れなかった。いまさらではあるが、この植物は、米、麦、トウモロコシとともに「世界4大食べ物」の部類に入るのだそうだ。ジャガイモの生産量世界NO1は米、麦(小麦)とともに中国で、トウモロコシのみが世界1生産国は米国(中国は2位)だ。日本は主食の米の生産量がようやく10位(2004年の統計)にランクされるが、これ以外は遠く及ばない。  

 日本のジャガイモの主産地は北海道だ。札幌に住む知人から、最近ホッケなどの魚が届いた。毎年、この時期にジャガイモを送ってくれるが、ことしは違っていた。お礼のメールをしたら「ことしは震災で魚不足と思い魚にしました。ジャガイモ……もし送っていたらと思うと・・・(爆笑)」という返事がきた。そうですね。まだ、ジャガイモ料理はノーサンキューといったところでしょうか。 (美しい家の庭を見ることも散歩の楽しみ)

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