833 怒っている海よ でも負けない人間の力
海についての詩を読んだ。「怒っている海」という百田宗治の詩だ。人間に津波という形の牙をむいた海。それでも、海を見つめてしまう。百田はこの詩を通じて、何を言いたかったのだろう。
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ある日 ぼくは海を見に行った。
海はひどく怒って、
ぼくをめがけて白い大きな波をたたきこんだ。
波はぼくよりも背が高かった。
しぶきがぼくの顔や肩にかかった。
ぼくは怒っている海のしぶきのなかで、
しばらくじっとようすを見ていた。
の怒りは、遠い灰色にくもった沖のほうから
はじまり、
今にもこの陸地を呑みこんでしまいそうだ。
小舟が一そう波のあいだにもまれていて、
とおい半島のさきに白い燈台が見えた。
あのなかに人がいて仕事をしているのだなと
おもうと、
ぼくは海にまけない人間の力を感じた。
怒れ、怒れ。
腹のすむまで怒れ。
ぼくは海にむかってそう言った。
ぼくは海にまけない人間になって
海から帰った。
ぼくをおっかけるように
海がまだ松ばやしのなかでがなっていた。
(巽聖歌著「詩の味わい方」より)
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きょうは夏至である。3月11日の東日本大震災から3カ月以上が過ぎ、三陸の海も穏やかだった。だが、海は自然の代表なのだ。時には怒りの表情を見せ、ものすごい牙をむく。海に囲まれた日本に住む私たちは、さまざまな海の表情を見てきた。
その頂点ともいえるのが未曾有の大津波だった。海の猛威に陸地がのみ込まれ、多くの家も船も流失した。犠牲者は数限りない。百田のように「海に負けない人間の力」を取り戻したいと思う。
先週、宮城県気仙沼市から20分の大島までフェリーを往復した。いつもは青く澄んだ美しい三陸の海だ。しかしそこには傾いたままの船が無残な姿をさらし、がれきの山が残っていた。
だが、人間の力は弱くはない。牙をむいた海と共存する日が必ずやってくると信じたいのだ。壊滅的打撃を受けた宮城県南三陸で会った漁業関係者は、海に戻りたいという思いが顔に出ていた。彼にとって海は生活の場そのものなのだと思った。