小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1667 「ここに地終わり海始まる」 心揺さぶられる言葉

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「ここに地終わり海始まる」ポルトガルの国民詩人ルイス・デ・カモンイス(1525?-1580)の詩の一節だ。リスボンの西シントラ地方のロカ岬はユーラシア大陸の西の果てといわれ、140メートルの断崖の上に十字架がある石碑が建っている。そこにはこの言葉が刻まれている。混沌とした時代。なぜかこの言葉が心を打つ。  

 作家の宮本輝は、同名の小説を新聞で連載し、1991年10月、単行本(講談社)として出版した。その本のあとがきでこの言葉に触れている。「ポルトガルのロカ岬はヨーロッパ最西端の地なのですが、そこに〈ここに地終わり 海始まる〉という碑文が刻まれていて、私はこの文章になぜか烈しく心を揺すられました。どうしてなのか、私にはよくわかりません。ですが、私はこの言葉をそのまま小説の題にさせていただき、地方新聞十数社で210回にわたって連載しました」  

 宮本輝が「烈しく心を揺すられた」という言葉。たった一行とはいえ、私は雄大な自然のスケールと人間の歴史を思い描く。ユーラシア大陸はアジアとヨーロッパを合わせた大陸であり、地球の陸地面積の40・4%に及ぶ巨大な地域である。その「最西端」がロカ岬(「最北端」はロシア・チェリュスキン岬、「最東端」は同・デジニョフ岬、「最南端」はマレーシア・ピアイ岬)である。  

 カモンイスはポルトガルの発展のために尽くした人々の業績を描いた叙事詩ウズ・ルジアダス ルーススの民のうた」(池上岑夫訳・白水社)を書いた。この言葉はその中の一節だ。ポルトガルとスペインは15世紀前半、世界の果てを目指して大航海という海の冒険を始めた。ポルトガルで大航海を指揮したのがエンリケ王子だった。その後、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路発見など、ポルトガルは世界に大きな地位を占める。1543年、種子島に漂着したポルトガル人が鉄砲を伝えて以来、宣教師や貿易商がやってきて日本との交流も始まる。  

 現在、ロカ岬はポルトガル有数の観光地として訪れる人は少なくない。人々はこの岬に立った時、カモンイスの言葉をかみしめながら、地球の平穏を願うのだろうか。『火宅の人』で直木賞を受賞した檀一雄は1970年から1年間半、ロカ岬に近いサンタ・クルスで暮らした。この街の海岸近くには「落日を拾いに行かむ海の果」という檀の文学碑がある。世界を放浪した檀は、目の前に広がる大西洋に魅せられたに違いない。その海の先では今日も争いごとが絶えない。  

 注 ユーラシア大陸の「最南西端」はサグレス岬から北西6キロのサン・ヴィセンテ岬である。サグレスは沢木耕太郎の『深夜特急』や司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズ『南蛮のみちⅡ』でも登場する。

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1、ロカ岬に立つ十字架の石碑 2、ロカ岬 3、ロカ岬の灯台 4、エンリケ航海王子の没後500年を記念して建てられた発見のモニュメント 5、モニュメント前の世界地図の中の日本